ででんと神社に寄付

毎年、自分の誕生日は神社にお参りすることにしている。

これは筆者が生まれた日、父親の知り合いが神社でお守りを買ってきてくれたことに由来する。

以来、父親は、筆者の誕生日には毎年その神社に行き、お守りを買ってきてくれた。

そして上京した現在は、筆者自身が東京にある同じ系列の神社でお守りを買っている。

 

先日の筆者の誕生日も、その神社に行ってきた。

 

子供の出産でバタバタした先の年末年始。

今年は初詣にも行けなかったので、初詣も兼ねて、妻と子の分もお参りすることにした。

有名な神社で、また行ったのが休日ということもあって神社は人で賑わっていた。

受験シーズンだからか、絵馬も大量に掛かっている。

 

お守りを売っている窓口には長蛇の列。

参拝した後、その列で待つこと15分。

やっと筆者の順が来た。

筆者の分と妻と子の分のお守りを注文。

 

「〇〇円です」

 

巫女さんが言う。

しかし、混雑していたのでよく聞こえなかった。

あまり気にすることなく、一万円札を渡す。

それを受け取った巫女さんは手早くお守りを袋に入れ、お釣りを用意。

しかしお釣りを手渡されたときに違和感が。

 

あれ。お釣り、千円少なくない?

気のせいか?

 

事務的な調子でお守りの入った袋を渡す巫女さん。

それを受け取り、後ろの客に押される形で列を出ようとしたとき、巫女さんが

 

「こちら、絵馬になります」

 

絵馬なんて頼んでない。

 

後ろの客に押されながらその旨伝えると、巫女さんは、ああそうですか、と言って次の接客を始めた。

 

行列から抜け出し、再度お釣りを確認すると、やはり千円少ない。

そして店の前の看板には、絵馬千円の文字が。

 

なるほどそういうことか。

 

巫女さんに言おうかとも思ったが、行列に割り込んで行くのも少し躊躇われる。

長い時間待たされて他の参拝者の機嫌もよろしくないのだ。

 

少し逡巡したあと、その千円は神社に寄付したものと考えることにした。

 

初詣もしていなかったのだ。

それくらい納めたっていいだろう。

 

こう考えると気持ちよくなり、またこんな考えができるようになった自分が嬉しくなり、

帰り道に妻に和菓子のお土産を買って帰った。

 

外出できない妻もちょうど和菓子が食べたかったようで、とても喜んでくれた。

 

家族とも過ごせて、とてもほっこりする誕生日になった。

 

嫌なことがあっても、考え方一つで、幸福な生活ができるというお話。

 

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