絆にお金を使う

いきなりだが仮定の話をする。

同じ商品を同じ値段で扱う店が二軒あったとする。

A店とB店としよう。

その二店舗の商品は、保存状態も全く同じ。
つまり商品の品質に差はない。

しかしA店とB店は違う場所にある。

A店は家から5分ほどの場所。
一方、B店は家から30分の場所。

あなたなら、どちらの店で商品を買うか?

多くの人は家から近いA店を選ぶだろう。

理由はシンプル。
移動が楽だし、時間を有意義に使えるからである。

というか、何が悲しくてわざわざ30分もかかる場所に行かなくてはいけないのか、という感じであろう。

ではさらに、以下の条件が加わった場合はどうだろうか?

「B店の店主は自分の妻や義母の昔からの知り合いであった。」

最初の条件でA店を選んでいた人の何人かは、B店を選ぶかもしれない。

しかし筆者は、それでもA店を選ぶ。

この理由もシンプルである。

 

嫁と顔なじみだろうが関係ないやん!?
普通効率的な方選ぶし‼︎

 

冷たいかもしれない。
だがA店を選ぶ人は相当数いるのではないだろうか。

しかし妻に言わせると、そんな人は「つまらない」のだそうだ。

 

どういうことか、説明する。

先日、車を塀に擦ったため修理に出したという話をした。

修理を頼んだのは、某大手車用品店。

修理費は25万円ほどだが、車両保険に入っていたので、自身の支払い金額は5万円ほどで済んだ。

その車用品店を選んだのに大きな理由はない。

たまたま家の近くにその店があったからである。

なので、あえて選んだ理由を挙げるなら、「家から近かったから」であろう。

その顛末を妻に伝えたら、ブーブー文句を言われた。

どうして妻の実家近くにある修理屋を選ばないのか、と。

その修理屋は、妻の母親、つまり義母と顔なじみの店で、妻も車の修理によく世話になっている店であった。
大手ではなく、個人経営のこぢんまりとした店である。

筆者も一度、車磨きに利用したことがある。

妻の文句は、(保険が降りて)払う費用が同じなのであれば、顔なじみの店に世話になりなさい、というものであった。

ちなみにその修理屋は、アパートから車で30分と少々遠い。というか、結構遠い。

しかし、顔なじみに頼むのはとても大事なのだと妻は言う。

筆者の交友関係も広がる(かもしれない)し、その顔なじみも仕事が増えてハッピーになる。
一石二鳥なわけである。

 

妻の不満はさらに続く。

あなたは、いつも楽な方を選ぶ。
人のために何かやってあげようという意識が低い。
だから、つまらない。
・・・・
・・

こんな具合に続いていくわけである。

 

妻の小言はさておき、彼女が言っていることは要するに、人との繋がりのために、お金や労力を使えということなのである。

もちろん、無駄な金を使えというわけではない。
不要なものに金を払う必要はない。

どうせ使うのであれば、人のために使うということを意識しろと言っているのである。

妻の言うとおり、筆者の中でその意識はとても低かった。

合理的に考え、効率的な行動を優先し、人と繋がろう、知り合いをもっと作ろうとはあまり考えなてこなかった。

何しろ、一匹狼的なところがある筆者。

何でも自分で解決しようとするうちに、人との繋がりが不要になる。
だから、そういう意識が薄れていくのだ。

逆に妻は苦手なことが多い。
人の助けを借りることが多いのである。

だから人との繋がりということを日頃から意識しているのだろう。

世の中には孤独に生きることを良しとする考え方もある。

少し前の筆者もそうであった。
現在もそれを否定するつもりはない。

しかし、全くの一人きりで生きていくことは難しい。

どんなに頑張っても、衣食住、水道や電気等のインフラなど、誰かの労働によって生み出されたものに頼らざるを得ない。

人に頼らないとなると、完全に原始的な生活をせざるを得ないわけである。

妻が言うことを突き詰めて考えると、人と人とは必ずどこかで繋がっていて、それを排除することは難しく、だからこそその繋がりをほんの少しでも意識して行動すれば、お互いの生活に温かみが生まれるということなのだろう。

 

妻がそこまで深いところまで意識しているとも思えないが、はっと気づかされたことである。

 

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