正論が正しいとは限らない

誰かに不満を覚えた時、どういう行動をとればよいだろう。

・忘れる。
・婉曲に不満を伝える。
・ストレートに不満を伝える。
・ぐっとこらえて仕返しの時を待つ。

どれを選択するかは相手との関係にもよる。

筆者のように、日々妻からクレームを浴び、不満が溜まりに溜まった結果、悟りの境地に達した者であれば、

「お笑い好きな割に、あなた全然面白くない」

と言われようが、

せっかく頑張って作った夕食を

「あんまり美味しくない」

と言われようが、簡単に忘れられる。(涙目)

しかし、未だ悟りの境地に達していない多くの人たちは、相手との関係悪化を危惧するあまり、仕方なく「忘れる」を選択する人が多いだろう。

嗚呼、奥ゆかしき哉、日本文化。

ただ、同じ相手による不満が何度も続くと、忘れようにも忘れられなくなることもある。

例えば、その相手が家族や彼氏彼女、親しい友人だと、その不満を頻繁に感じなければならず、大変辛い。

そんな場合は、自分の精神衛生をよくするためにも、反論した方がよい。

反論の仕方もセンスが問われる。

一番利口なやり方は、端的に「◯◯されるのは、嫌だからやめてほしい」とだけ言って、それ以降はその話題を口にしない方法である。

さっぱりしていて、清々しい。

反論されるた相手は、大なり小なり嫌な気持ちにはなるが、それを最小限に抑えるやり方である。

やめた方が良いのは、ネチネチとロジカルに言う場合。

筋道を立て、自分の主張がいかに正当か、いかに相手が間違っているかを伝えるやり方である。

相手を完膚なきまでに叩きのめすことになるが、これは絶対にやめた方が良い。

おそらく、あなたは完全勝利に酔いしれるだろう。

しかし、果たしてそれはプラスに働くか?

確かに、言い終わった時はスカッとする。
この上ない爽快感。

この言い方完璧に決まったなぁ。
一言も言い返せないあいつの悔しそうな表情!

そうやって、自分の偉業を噛み締めることであろう。
相手に対する不満が溜まっていたのだから、余計にいい気持ちになりたいのは分かる。

しかししかし、だがしかし。
確かに、同じ不満は感じなくなるという報酬は得られるかもしれない。
だが、恨みという高い代償を支払うことになるだろう。

筆者も、今でこそ、自分の半径一メートル内に蓮の花が咲くんじゃないかというほど穏やかな精神状態に達しているが、悟りを開く前は、妻の行為や言動に不満を覚えると、ロジカルに反論していた。

妻の行為や言動がいかに非常識か、筆者が精神的被害を被っているかを理論立てて話すのである。
妻の反論に対しても丁寧に反駁。

終いには、妻も何も言い返せなくなる。

良かった、自分の正しさが伝わった。
そう思った矢先の妻の一言。

「あなたは全然優しくない」
「私の気持ちを全然わかってくれていない」

そこで筆者はようやく気づいたのである。

あ、正論じゃないんだね。
ワガママや文句を含めて受け入れることが、妻には必要なことなんだね。

結婚は我慢と忍耐。

昔、そういう言葉を聞いたが、それはいい得て妙である。
(もちろん、妻が筆者に我慢していることもあるはず。)

最近は相手に我慢できず、離婚してしまうケースが増えている。

だが、親しい人ほど、広い心を持って接してあげなければならない。
蓮の大きな葉のように。

ちなみに先日、昔妻に反論した内容を逆手に取られて怒られてしまった。

「食事の時、食べる物に集中しろって言ったのあなただよね」

食事の時新聞を読んでいた筆者に妻が言った一言である。
もう何も言い返せなかった訳である。

親しい人への反論は自分の首を締めることにもなるので、やめたほうが良い。

 

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