そんなにキラキラしたいか

先日本屋に行ったとき、平積みになっている本の中に、

キラッキラの君になるために

というタイトルの本があった。

 

帯を見ると、ビリギャルのモデルになった女性が

これまでの半生を振り返って書いたものらしい。

 

中身を読んだわけではないので、その本自体を否定するつもりは毛頭ない。

しかしそのタイトルだけはどうも気にかかった。

 

なんでキラッキラにならないといけないのだろう?

 

タイトルを言い換えると、

 

他人から充実していると思われるために

 

となる。

 

なんで、そんなものを目指さないといけないのか。

自分が満足していればそれでいいではないか。

それを自分の気持ちはさておき、他人に、キラッキラしてるなあの人、

と思われるように努力するのだ。

 

虚しくないだろうか。

 

友達にリア充と思われたいがために、SNSに楽しそうな写真を投稿するのに似ている。

自慢したい。優越感に浸りたい。

そんな思いがあるのだろう。

その気持ちはわかる。

 

しかし、他人の目を気にして何かを続けていても、気疲れするだけである。

自分が本当にやりたいこと、楽しいことをやれば自然と輝きだすものだろう。

もしかしたら、この本ではそんなことが書かれているのかもしれない。

 

しかし、もしそうだとしても、このタイトルはいただけない。

 

キラッキラになることを目指す時点でキラッキラから遠ざかっていくのだから。

 

好きなことに熱中していれば、自然とキラッキラになれるのである。

 

それを目指すものではない。

 

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