若い頃は、最難関と言われる大学を出ている人を見ると、
才能に恵まれているとか、すさまじい努力ができるすごい人だ、と思っていた。
その一方で、全然有名でもない大学出身の人には、
なぜ、努力をしないのだろう、とも思っていた。
しかし、社会に出て色々な人との出会いを経て、
そういった考えは薄れていった。
むしろ、それまで羨望の的だった人たちは、「恵まれていただけ」であり、
卑下していた人は、「恵まれていなかっただけ」なのではないかという考えが
強くなっていった。
筆者は必ずしも裕福な家庭で育ったわけではない。
父親は地方公務員(高卒)、母親は専業主婦。
きょうだいは、筆者を入れて3人。
家計が苦しかったのは、子供ながらに理解していた。
「私立」という選択肢のなかった筆者だが、しかし恵まれていたのは、
両親は「勉学」が大事だと理解していたこと。
教育への出費を優先してくれた。
また幸運にも、筆者も勉強が苦手ではなかった。
結果的に、公立高校、国立大学に進学し、
就職もすんなり決まり、今ではある程度余裕のある生活ができている。
ふと思う。
もっと裕福で教育熱心な家庭に生まれていたら、今頃もっといい生活ができていたかもしれない。
他方で、全く教育に興味のない家庭に生まれていたら、苦しい生活を送っているかもしれない。
そう。
結局は、運。
偏差値が低い大学出身者を馬鹿にする人がいる。
しかし、彼は自分自身がどれほど恵まれていたか気付いているのだろうか?
もちろん、彼自身、相当努力はしたのだろう。
しかし、努力できる環境に置かれていたことや、
あるいは勉強が得意だったことはその人の努力とは無関係だ。
それは運である。
親は教育に興味がなかったし、勉強も苦手だった。
でも努力をして、いい大学に入って、いい会社に就職した。
こういう人がいるかもしれない。
しかし、そういう人も、勉強の大切さに気づくきっかけがあったはずだ。
勉強に導いてくれた恩人や、そういった環境との出会い。
それもやはり運。
大切なことは、そういった運で人生が決まることを、知っておくこと。
教育だけでなく、金銭や容姿、あらゆる才能もそう。
知っていれば、恵まれている人は、そうでない人に対する眼差しが変わってくる。
決して馬鹿にはしようとも思わないだろうし、その人に手を差し伸べようともするだろう。
一歩間違えれば、自分も恵まれない方にいたかもしれないのだから。
きっと他人事とは思えないはずだ。