出世欲の不思議

筆者もいい歳になってきた。

それなりに経験もあるので、会社でもリーダー的な立場を任されることもしばしば。

そうなると、どうしても忙しくなる。

それが楽しいという人もいるだろうが、大抵の場合、ストレスの元になる。

筆者もそれに悩まされる一人だ。

リーダーを任されるということは、将来的には管理職にもなり得るということ。

それが憂鬱で仕方ない。

管理職を見ていると、今の自分よりもストレスフルで、見ていて虚しくもなる。

筆者は管理職になりたくない。

断言する。本当になりたくない。

生産性のない管理業務で睡眠時間も削られるなら、一生ヒラの方がマシ。

しかし、そんな管理職の現実を目の当たりにしつつ、出世したいという人もいる。

彼らは管理職が全く楽しくないと認識いるにもかかわらず、である。

筆者には意味がわからない。

ストレスフルな生活に、どうして魅力を感じるのだろうか。

虚しくならないのだろうか。

彼らの出世欲の根源の一つに、承認欲求があるのは見て取れる。

つまりは認められたい、ちやほやされたいのだ。

あとは給料面でも優遇されるが、筆者の会社の場合、出世したからといって、格別差がつくわけでもない。

もちろん、それが何年も重なれば、生涯収入はある程度差が出てくるが。

筆者は出世欲がない。皆無である。

というか、早く会社を辞めて、一人で稼いで生きていきたい。

個人投資家や自称小説家、といった怪しい肩書でもいい。

家族を養っていけるだけの収入があれば、肩書はなんでもいい。

人に自慢などする気は毛頭ない。

出世欲がある人は、出世すれば幸せなのだろうが、それは果たして本当の幸せなのだろうか。

人生は長い。会社を辞めた後も20年くらいは人生が続く。

リタイア後の人生も、出世欲、承認欲求を持ち続けて生きていくのだろうか。

あるいは、会社員時代に得た立派な肩書きをその後の人生で自慢していくのだろうか。

出世欲のない筆者にはただただ不思議な感覚だ。

 

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