先日、出入国管理法改正案が衆議院を通過した。
参議院も通過すれば、所謂「移民法」が日本でも制定されることになる。
日本が多民族国家への道を歩んでいるのは間違いない。
この流れは止められないであろう。
日本が今後も暮らしやすい国であり続ける限り。
というのも、より良い暮らしを求めて住処を変えるのは、生物の生存本能に基づく行動だからである。
渡り鳥。
鮭。
熊が食べ物を求めて人里に出没するのもそうである。
人類の歴史を振り返っても、同じである。
ゲルマン民族の大移動。
イギリス人のアメリカ入植。
枚挙に暇がない。
そして移動した先々で、その環境に合わせて変化していく。
ダーウィンの進化論そのものである。
ところで、移民政策には不安を感じる日本人が多いらしい。
ほとんどの日本人は、日本の労働力の減少により、外国人を頼らざるを得なくなることは認めている。
しかし一方で、自分たちのコミュニティ内に彼らが入り込むことに不安を抱いている。
人間は皆、排他主義である。
自分とは異なるものを極力排除し、似たものを周りにおいておくことで安心を得ようとする。
これもまた生存本能の表われである。
分かりやすい例を挙げる。
ある日いきなり宇宙人がやってきたとして、果たしてその宇宙人といきなり仲良くできるだろうか?
地球をのっとりに来たのではないか。
我々に危害を加えるのではないか。
まずはこんな危機意識を抱くだろう。
話してみたい、友達になりたいとも思うかもしれない。
しかしそれも自分に危害が及ばないことが前提である。
入念に宇宙人のことを調べ上げ、害がないとわかってようやく、未来思考での会話ができる。
宇宙人の滞在が一時的ならそれでよい。
しかし、もし永住したいと言い出した場合は、話が別である。
受け入れ予定地の周囲の人間の大反発は必至であろう。
皆が嫌がるはずである。
上記は極端な例だが、差別やいじめが発生するのは、同様の論理である。
生存本能に基づく、異物の排除意識。
人は似た者と一緒にいるのが一番安心できる。
逆説的には、人間の生存本能が機能する限り、差別やいじめはなくならないと言える。
さて、異物の排除意識が働くのは、何も移民や同級生に対してだけではない。
夫婦間でも存在することが確認されている。
筆者によって。
後片付けが出来ていない。
食後歯を磨かない。
家に帰るとすぐテレビをつける。
こういった筆者の習慣が、今まさに妻の手によって駆逐されようとしている。
まったく生存本能というのは恐ろしい。
しかしそれも、彼女が必死に生きようとしているのだと考えると、少し微笑ましくも思える。
きっと彼女は、筆者よりも長生きするだろう。
なにより筆者もそれを望んでいる。