堪えるのも子育て

義母は昔、小学校の先生だった。

その経験を活かし、70歳を迎えた今もスクールソーシャルワーカーとして働いている。

スクールソーシャルワーカーとは、生徒が抱える問題を教師や保護者の協力を得ながら解決を図る人である。

生徒が抱える問題というのは、いじめや不登校が主だ。

 

そんな義母からこんな話を聞いた。

勤め先の小学校での話だ。

 

学年末のこと。

3学期の成績表が生徒たちに配られた。

 

6年生のA君は、社会と理科で悪い成績をとってしまった。

このまま持ち帰ったら、親に怒られる。

そこでA君は友達のB君にあることをお願いした。

 

それは成績表の交換だった。

 

その学校の成績表は、科目毎に用紙が別れており、ルーズリーフのように全科目の用紙をファイルに綴じて渡されるらしい。

A君は、社会と理科の成績だけB君の成績と交換して欲しいと願い出たのだ。

優しいB君はそれに応じて交換してあげた。

 

科目別に成績が別れてはいるが、その用紙毎に生徒の名前は記載されている。

だから交換したことはすぐにバレそうなものだが、A君、B君の親はそれに気づかなかったらしい。

 

しかし、どういうわけかA君がそれを別のスクールソーシャルワーカー(義母の同僚)に言ってしまった。

そしてその同僚が、義母にこの事案についてどう対処すべきか相談してたのだ。

 

筆者のような第三者の立場でみると、小学生らしくてなんだかおかしい話である。

しかし、現場の人間(義母の同僚)にしてみると、A君がやったことは明らかな不正。

犯罪ではないだろうが、人として間違った行為であるのは確かだ。

その不正を正すべきと考えるのは当然だろう。

 

一方でもしA君の親がその不正を知ったら、A君を叱り、B君の親に謝るというひと騒動が勃発するのは想像に難くない。

 

その騒動を起こすべきかどうか、その同僚は悩んでいるのだ。

善意で加担したB君もきっと怒られるだろう。

6年生の3学期の成績の話だから、もう一度成績表を見返さない限りこの不正がバレることはない。

 

その同僚が悩むのもわかる。

 

この話を聞いた筆者と妻の反応は一致していた。

 

A君には注意して、親には言わず、そっとしておいていいんじゃないか。

 

親に怒られたくないというA君の気持ちはよくわかる。

筆者も妻も、怒られるのが嫌で大人に隠し事をした経験はままある。

 

A君の行為がすぐにものであることを考えると、あまり後先考えずにやったことなのだろう。

またA君が自分の行為をその同僚に言ったということは、もしかしたらA君に大きな罪の意識がなかったのかもしれない。

仮に罪の意識があったのなら、それに悩んで言ったのだろう。

 

ここで大事なのは、A君に今回やったことは間違ったことだということを分からせることだ。

 

A君に話してみて、それが分かるようであれば、このままそっとしておいていいのではないだろうか。

 

罪の意識が芽生えれば、あとは自分で反省するだろう。

なんでもかんでも、正義を振りかざして大事(おおごと)にして、子供の考え方を矯正するのは大人の自己満足でしかない。

子供は繊細である。子供の心には優しさが必要である。

今回の件を大目に見るという優しさは、きっとA君の心の成長を促すはずだ。

 

筆者が第三者だからこんなことを言えるのかもしれない。

 

なんだか、自分の子供をどう育てるかを考えさせられる話だった。

 

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