子供の頃に感じた違和感

まだ小学生高学年くらいの頃だったろうか。

テレビでクイズ番組を見ていた。

確か、「世界不思議発見」だったような気がする。

その日はとある有名女優の生涯がテーマになっていた。

ハリウッドかどこかの女優だったと思う。

クイズのパネラには、加賀まりこもいた。

おそらく、同じ女優という枠で呼ばれたのではないか。

とある問題に差し掛かったとき、筆者は子供ながら違和感を覚えた。

その問題とは、

富も名声も得た有名女優が、結婚を機に女優を辞めた。彼女が求めた「女性としての幸せ」とはなんだったか?

というものだった。

幼いながらも、筆者は「子供」かな、と思った。

そして実際、正解は「子供」だった。

パネラは、ほとんどが正解していた。

子供ながらに筆者は随分簡単な問題だな、と感じた。

しかし、である。

加賀まりこだけ、間違っていた。

唯一、彼女だけ、別の答えを書いていた。

何を書いたのかまでは覚えていない。

そして、正解を聞いても、納得していないようだった。

筆者にはそう見えた。

番組が終わった後も、何かもやもやしたものが残った。

後々、加賀まりこには、子供がいない、正確に言えば、出産してすぐに亡くしたということを知った。

そこで全ての謎が解けた気がしたのを覚えいてる。

それにしても、そのような背景を持つ彼女をパネラとして呼ぶのも配慮が欠けているし、

時代が許していたにせよ「女性としての幸せ」という表現も違和感がある。

大人になってからわかることは、たくさんある。

子供の頃に、世界に対して、どれだけ違和感を感じるか。

それが結構、その人の大人になった姿を左右するのではないかと思っている。

 

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