幸せってなんだろう

筆者はJAFに加入している。

車の運転に不安があるのだからなのだが、たぶん、運転が得意だったとしても加入はしていたと思う。

車の運転というものは、不慮のトラブルに巻き込まれる可能性が高い乗り物だから。

 

さて、JAFに入ると一月に一度くらいのペースで会報が送られてくる。

ドライビング情報、日本各地の名産紹介などの記事があるのだが、これが密かな楽しみだったりもする。

 

特に楽しみなのが、巻頭のエッセイだ。

 

「幸せってなんだろう」という題名のエッセイなのだが、毎号、小説家や芸能人、ミュージシャンなど様々な人が、代わる代わる幸せについての彼らの考察を寄稿していて、これが読んでいて面白い。

 

このエッセイを読むたび、筆者も幸せについて考える。

そして毎回思うのが、幸せというのは、結局は「賢さ」なのだということである。

ここでいう「賢さ」というのは、単に頭がいい、勉強ができる、仕事ができる、ということではない。

自分の感情をうまくコントロールできること、というのが筆者の言いたい「賢さ」なのだ。

 

たとえば、人よりも劣っている点を自分の中に見つけてしまった時、あるいは自分のコンプレックスに向かい合わなければならない時、その劣っている点やコンプレックスに自分がどう立ち向かうのか、あるいはどうしようもなければどう気持ちに折り合いをつければよいのかを自分で見出せること、それが賢さであり、知性なのだ。

 

こういった感情の対処をできる人間は、妬みや嫉みの感情を持たなくて済むし、どんなに辛い境遇にいたとしても、そこに幸せを見出すことができる。

決して心が折れないだろうし、そういった意味で、メンタルの強い人間でもあるとも言える。

 

そして実は、筆者が目指しているのもそういった人間であったりする。

 

おそらく、人間というものは、年をとれば、人生における「どうにもならない問題」というものの存在がわかってきて、自然とそういった賢さを備えた人間になっていくのだと思う。

若いうちに抱く、いろいろな欲望や負の感情は、それ自体ものすごいエネルギーを持っていて、それをきっかけとして大きなムーブメントを起こし得るものでもあるから、それを否定するわけではない。

しかし、そういったものを抱いているうちは、なかなか本当の幸せは得られないだろう。

 

外に目を向ける前に、自分の中に目を向けて心を鍛える。

 

これが、幸せになるために一番必要なことなのだと思う。

 

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