自分を語る難しさ

趣味は何かと聞かれると答えに窮する。

趣味がないからではない。
自分の好きなことについて、うまく語れないからである。

 

ジョギング、ギター、ゴルフ。

社会人になって始めたこれらは、長短の休止期間はありつつも、いまだに続いている。

ただ、それらについて語れと言われれば、途端に何も出てこなくなる。

「なんでジョギングやってるの?」

と訊かれれば、

汗をかくのが気持ちいいから。

と答える。

しかし、それだけで終わってしまう。それ以降が続かない。

「ギターの何が楽しいの?」

思ったように音楽を弾けるのが楽しい。

「ゴルフって難しいんじゃない?」

うん、難しいよ。

こんな具合である。

おそらく、これが筆者のダメなところなのだろう。

妻にもよく言われる。

あなたの話は生き生きとしていないの。
本当に楽しいの?
どんよりとしていて、聞いてるこっちが暗くなる。

非常に手厳しいが、事実だ。自覚している。

 

上で挙げた趣味は、いずれも筆者が好きで続けていることである。

なので、趣味に打ち込んでいるときは楽しい。

しかし、その趣味を他人に話すとなると、途端に難しくなるのである。

趣味のルールややり方を淡々と説明して終わってしまう。

どこが楽しいのか、どういう思い出があるのか等、いざ話そうとすると全然出てこないのである。

おそらく、ずっと一匹狼で生きてきたからだろう。
他人と楽しさを共有する機会を逃してきたのだ。

大体自分で満足してしまうのである。

 

ジョギングで初めて10キロ走れた時も、ゴルフで最低スコアを出した時も、ギターで一曲弾けるようになった時も、喜怒哀楽色々な感情が湧き上がっているのに、全て筆者の心の中だけで完結してしまっていたのである。

自分が楽しければ、それで良い。
他人は関係ない。

そういう価値観で生きてきた。

「この間こういうことがあってさ」などと他人とエピソードを共有することを怠ってきたのだ。

社交的な人であれば、普段の何気ない生活の中でも、誰かと話せるネタを自然と見つけてしまうのであろう。

そしておそらくそれは、作家として重要な能力なのではないかと考えている。

常に何か面白いことがないかなとアンテナを張るのは、想像力やエピソードを必要とする作家には不可欠な能力であろう。

そういう意味で、筆者にとって作家の道はまだまだ険しいのだと考えている。

しかし、妻のためにそれを克服することが、作家への道を開いてくれるものと思っている。

 

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