疲れると気づく矛盾

時々、世の中の矛盾を感じて気が塞ぐことがある。

いや、気が塞いでいるから、矛盾を感じるのか。

どっちだろう。

両方かもしれない。

たとえばの話。

多くの人がこんなことを言う。

大人は卑怯だ。

大人は醜い。

子供が大人に対して感じることかもしれない。

大人から見ても、これは真実を言っていると思う。

しかし、もしこれが真実だとすると、絶望的な考えにたどり着かないだろうか。

純粋無垢で生まれてきた赤ん坊。

しかし、その子は人間社会に染まっていくうちに醜く成長していく。

つまり、我々人間は日々、醜い生き物を生み出しているのだ。

いったい何のために。

そんな生き物が繁栄して、何が喜ばしいのだろう。

同じような考え方がある。

人間は良い社会を作ろうとしている。

そのために日々頑張っている。

そんな日々の中で、頑張るあまり、大人たちは心身をすり減らしている。

その結果、世の中に溢れているのは疲れ果てた大人たちばかり。

そんな大人たちがはびこるこの世界は、明るい社会だろうか。

きっと我々の祖先も、心身をすり減らして頑張ってきたはずだ。

子孫が住む社会がよりよい社会になるように。

そしてそれは、我々の子孫もそうするはずだ。

一体いつになったら、皆が住みやすい社会ができるのだろう。

頑張り続ける人間。心がすり減った人間。

良い社会には、疲れ果てた大人なんていないはずだ。

こういった矛盾は、往々にして心身が健康なら思い浮かばない。気づかない。

ということは、筆者は今疲れているということだ。

結論。

ゆっくり休むことにします。

 

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