消費される作品

映画『ラ・ラ・ランド』の1シーン。

売れないピアニストの主人公が、レストランでピアノを弾く。

しかし、客はそれぞれの会話に夢中になっている。

彼の演奏に耳を傾けている人は誰一人いない。

自分の仕事に絶望する主人公。

よくあるシーンなのかもしれない。

しかしこのシーンはなんとももの悲しい。

別に主人公と同じ経験があるわけではない。

芸術作品は、消耗品。

その側面がよく表れていて悲しいのだ。

街を歩けば音楽が溢れ、多様なアートが飾られている。

本屋に置かれた本は定期的に入れ替えられるし、ネットには個人作品がひしめく。

その中で、人の目に止まる作品は、ほんの一握り。

ではその作品が、他の作品よりも大きく優れているかというと、必ずしもそうではない。

作品自体は平凡でも、プロモーションがうまいから売れているものもある。

他方で、才能はあるのに、それを知られずに道を諦める人も多い。

何も、良い作品を評価しない世の中を批判しているのではない。

売れる作品と売れない作品。

この違いは何なのだろう。

現代における作品の売り方として、まずは大衆の目に留まろうとする。

そのために、アーティストは本業と異なることもやってみる。

あるいは、若者ウケする作風を取り入れ、人々に媚びる。

こういった努力はなんなのだろうか。

こと芸術については、売れてナンボの、売れっ子至上主義。

エッジの効いた特殊作品は、量産型作品に埋もれてしまう。

では量産型作品が良いかといとそうでもない。

売れたい、大衆に受け入れられたい。

そういう狙いで作った作品は、消費されて終わりなのだ。

後世に残る作品、名作と言われる作品。

それは、大衆の評価は二の次に、自分の意思を貫いた無骨な作品ではないだろうか。

 

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