父親が病気で入院した。
気胸といって、肺に穴が開く病気。
重病ではないが手術が必要だ。
七十年超の人生で初めての手術らしい。
少し気落ちしているようだ。
実は、筆者も気胸になったことがある。
それも二度も。
それぞれ違う時期に左右の肺に穴が開いたのだ。
最初に鈍い痛み胸にが生じ、少し熱が出る。
体を動かすとだるいし、息苦しい。
安静にしていると支障ないのだが、運動するとそれはもう辛いなんてもんじゃない。
息を吸っても吸っても苦しいのだ。
溺死というのはこうやって死んでいくんだな、と思った記憶がある。
自分が患ったことのある病気だったから、父親が罹ったと聞いても、ある程度心の余裕はあった。
しかし、今後は知らない病気になることもあるだろう。
高齢だから大病かもしれない。
改めて、当然のことだが、日々死に向かって生きているのだな、と思う。
1日1日、別れの時は近づいているのだ。
なぜ死ななければならないのか。
なぜ老化するのだろうか。
子供の頃からそれが不思議でならなかった。
人生のある時期までは成長する。つまり、たくましくなるのだ。
その成長をどうしてずっと続けられないのだろう、と。
人間は死という宿命を、生まれた時から負わされる。
その意味は?
もう少し歳をとると、それもわかってくるのかもしれない。
果たして父親はその答えを出しているのか。
退院して元気になったら聞いてみようと思う。