人に親切にする。
困っている人を助ける。
そういった優しさが求められている社会のはずだ。
だが現実に目を向けるとどうだろう。
貧困層は貧しさにあえぐまま。
ネット上では、社会的な地位を失った人や、嫌われてしまった人への攻撃が止むことがない。
現実は、弱者に厳しい。
厳しい社会では皆が萎縮する。
息がつまる思いで、静かに生きていかなければならない。
幸せは遠のいていくばかりだ。
厳しい態度の根源は、2種類に分かれる。
正義感と、愉悦感。
前者は自分の中のものさしから外れれば他人を是正しようとする。
後者は他人を攻撃して面白がるだけ。
純粋に面白がって攻撃する人は、自分が間違ったことをしている自覚があるから、指摘をしてやれば大人しくなる。
子供を叱るのと同じだ。
その一方で、正義感から攻撃する人は、自分が正しいと思っているからタチが悪い。
そういう人は、自分を正当化するロジックを持っていて、それを盾に、世直し感覚で銃を撃つ。
純粋に、正義のために他人を攻撃する。
だから、悪気が全くない。
成長の過程でこのような感覚が植え付けられたわけだから、更生が非常に難しい。
2つのタイプを挙げたが、実は、皆が綺麗にこれらに分類されるわけではない。
正義感と愉悦感の両方を持っている人もいる。
そして実は、これが結構な割合を占めている。
そういう人は、自分の正義をかざせる時を虎視眈々と狙っている。
そしてそのタイミングを見つけるや否や、喜び勇んで他人を攻撃する。
正当な理由でいじめられるから、後ろめたさがなく、快感も増幅する。
こういう人は大概、知能の高い人だ。
漫画「デスノート」のキラも、このタイプ。
こういう人が世の中にはたくさんいる。
憎まれっ子世に憚かる、とはこのことだ。
筆者が思うに、現代が生きにくいのは、こういった人間性を持つ人たちが溢れているからだと思う。
この人間性は、我々の根源的な性質によるところもあるだろう。
だがこういう人格を、現代社会が育んでいる面もある。
幼少期に嫌な思いをすればするほど、歪んだ人格が形成される。
純粋なものだけを見て成長すれば、純粋な大人になる。
果たして、資本主義社会は、人間の幸福という究極目標に適した思想なのだろうか。
今の生きにくい世の中を見ると、そういう疑問を持たざるをえない。