普段から、学歴にはこだわらないようにしている。
親しい人にも、大学がどこか全く聞かない。
聞いても何の足しにもならないからだ。
社会に出てみるとわかるが、いい大学を卒業した人でも、仕事のできない人は沢山いる。
逆に、出身大学は有名でないが、優秀な人は沢山いる。
同じような経験をした人も多いのではないだろうか。
先日、分譲住宅の見学に行ったときのこと。
一通り見学した後に、住宅会社の人に、
「ご参考までに、大学はどちらの出身ですか?」
と問われた。
突然の問いに面食らった。
一体なんのための問いなのだろう。
住宅を購入するのに、学歴はなんら関係ないはずだ。
(収入や、勤め先がわかれば十分なはず。)
他の会社にも見学に行ったが、そのような問いはされたことがなかった。
単なる、個人的な興味だけだったのかもしれない。
だとしても、その答えによって、筆者に対する評価が変わるのだろうか。
学歴で人を判断するのは、勿体無い。
過大評価や過小評価をしてしまうのは、損でしかない。
よく知らない人を評価するために、出身大学を一つの指標とするのはわかる。
こういうことは、新卒採用ではよく行われているのだろう。
新卒学生など、若い人間を判断するには、やむを得ないかもしれない。
というのも、新卒学生の頭のキレは、大学入学時の勉強量、すなわち出身大学とある程度の関連はあるからだ。
日本においては、頭のキレを表す学力は、大学入学時がピークと言われている。
(大学入学後、本人の努力で能力を向上させた人もいるだろうから、相関性は「ある程度」だ。)
そういう頭のキレる人が、そうでない人に比べ、コミュニケーション能力やプレゼン能力等でも良い能力を持っている可能性は高い。
そういう意味で、新卒採用において(特に、書類選考において)、出身大学が選考に少なからず影響を及ぼしてしまうのは、仕方ないのかもしれない。
ただ、30歳以上の大人となれば話は別だ。
大学入学時の学力は低くても、社会に出て、一生懸命仕事に打ち込んできた人、自分を向上させようと努力してきた人は大勢いる。
そういう人は、有名大学を出て、そこそこの努力をしてきた人よりも、間違いなく優秀だ。
要するに、とかく人の能力という側面においては、大人になっても、その人の努力によって伸ばせるのだ。
頭のキレだけを見ても、逆転できる。
頭のキレは、場数を踏むことで高速化していくからだ。
逆に、頭を使わないと、錆びていくばかりだ。
もちろん、生まれ持った能力や、幼少期の訓練もその人の能力に影響する。
だが人のあらゆる能力は、大人になってからでも本人の意思で向上させられる。
学歴がないからと言って、卑屈になっている人を見ると、とても悲しい気持ちになる。
学歴がない、というだけで最初から白旗を揚げていないか。
卑屈になる前に、一度でもいいから本気で能力を伸ばそうとしてほしい。
たとえ、学歴がないと周りから蔑まれても、実力さえあれば見返せる。
人生は、その人次第でいかようにも変えられるはずだ。
人間には、その可能性がある。