ベッドに横たわるS君の顔は苦痛に歪んでいた。
腰の痛みも増してきているようだった。
さらに血尿が出たという事実が、S君の心に大ダメージを与えたようだ。
もちろん、筆者やN君にとっても衝撃的な出来事であった。
二人とも、ただS君を見下ろすことしかできなかった。
「救急車を呼ぶか?」
思い出したようにそう訊くと、S君は黙って頷いた。
我慢強いS君がそう言うのだから、よほど痛いのだろう。
救急車の呼び方がわからなかったので、フロントに電話した。
英語で電話するだけでも緊張するが、そんなことは言ってられない。
拙い英語で、どうにかこうにか起こったことを伝え、なんとか救急車を呼んでもらえることになった。
最初、穴に落ちたと言ってもなかなか信じてもらえなかった。
冗談じゃないかと怪しまれたのである。
筆者もその対応を受けて初めて、穴に落ちることは香港でも稀なんだと確信した。
ホテルの従業員も部屋まで来て、4人で救急車の到着を待った。
途中、旅行保険の存在を思い出し、保険会社に電話をかけた。
電話口から聞こえて来た日本語で、どれだけ安心できたことか。
言葉が通じることが、こんなにもありがたいなんて思わなかった。
保険会社のオペレータは、日本語を話せる現地スタッフを派遣してくれると言った。
神。まさに神である。
本当に旅行保険に入っておいて良かった。
行く予定の病院(従業員が教えてくれた)をオペレータに伝えて電話を切ると、だいぶ心が楽になった。
やり取りを聞いていたS君の表情も少し和らいでいた。
命に別状はなさそうだ。
それに、現地スタッフも来てくれるし。
そう思いホッとした途端、筆者は無意識にあるものを探し出した。
ガイドブックだった。
明日から観光どうしよう。
そんな考えが沸き起こった。
もちろん、S君のことも心配である。
しかし、せっかくの旅行なんだから観光もしたい。
今のS君の状態だと、観光は難しいかもしれない。
そうなると俺たちはどうなるんだ。
二人だけで観光すればいいんじゃない?
せっかくの旅行なんだから。
その権利くらいあるだろう。
冷たい話である。
温かみのカケラもない。
ふとN君を見ると、どうやら彼も筆者と同じ気持ちだったようだ。
彼はガイドブックをパラパラと眺めていた。
筆者の気持ちは少し楽になった。
具体的に行動に移したN君より、まだ筆者の方が人道的だ。
ほどなく、救急車がやってきた。
筆者とN君も同乗した。
車内でも、事故が起こったときの様子について色々と聞かれた。
もちろん英語で、である。
あたふたしながら、ジェスチャーもふんだんに取り入れて懸命に説明した。
ここ一時間くらいで、何度冷や汗をかいたことか。
病院に運ばれたS君は、台車に乗せらせたまま、診療室に吸い込まれて行った。
残された二人は、言われたとおり待合室で待つことにした。
周りを見ると、他にも地元の人と思しき患者が何人もいる。
そんな中、特にすることもなく、二人はただただ待つしかなかった。
(続く)