いつもと違う春

4月になったのに、新年度が始まったという感じがしない。

 

例年なら、真新しいリクルートスーツを着た若者の姿を街で見ると、新らしい年度が始まったな、と感じる。

 

だが今年は、テレワークが続いているし、外も出歩かないから、そんな彼らを見る機会がないからかもしれない。

おまけに、職場の歓迎会もないから、余計そう思うのだろう。

 

筆者の職場に着た新入社員は、ずっとマスク姿で、未だにどんな顔かもわからない。

表情もわからないから、初々しさや緊張感も伝わってこない。

 

だからだろうか。

 

今年は、社会人になった十数年前を思い出すこともなかった。

新年度から一週間ほど経ち、ああ、今年は何も思い出さないな、と気づいた。

 

十数年前。

上京するとき、別れ際、母が涙したこと。

入社日に出会った同期の、緊張と希望に満ちた顔。

知らない土地。初めての一人暮らし。全てが自由で解放感に満ちていたこと。

 

鼻の奥をツンとする思い出が、今年は全くこみ上げてこなかった。

 

 

本当にコロナだけのせいなのだろうか。

 

きっと違うだろう。

上京してまだ2、3年だったら、思い出したはずだ。

 

筆者の感覚が鈍くなったのだ。

歳をとったとも言える。

 

自分のことより家族のこと。

そう思うようになった。

 

親や子供のことだ。

 

いつしか、自分の過去よりも、親や子供の将来ばかりを考えるようになった。

 

自分に対する興味がだんだん薄れてきたから、感覚が鈍くなってきたのだろう。

 

ある意味で誇らしいが、ある意味で寂しい。

 

そんな、感覚の変化を感じる、特別な春。

 

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