筆者は三人きょうだいの一番上である。
最初の子ということもあり、小さい頃は両親に可愛がられたようだ。
実家には、生後間もない頃の筆者の写真が多く残っている。
とても愛されていたんだなと、アルバムを見返せば分かる。
しかし、まだ物心がつく前だったからだろう。この頃の記憶は筆者の中にほとんど残っていない。
一番古い記憶では、すでに弟が生まれていた。
そして弟の生まれた2年後、妹が生まれた。
両親の目は小さい子に行きがちである。
二人のきょうだいができてからは、両親の愛情はそちらに向きがちだった。
そのせいだろう。
子供の頃、「親は自分より弟や妹の方が可愛いんだ」と思っていた。
本当は自分のことも気にかけて欲しいのに、わがままだと怒られることを恐れて、甘えることも我慢していた。
一番上の子の宿命である。
やがて筆者は、それが当たり前だと、自分の境遇を受け入れるようになった。
親や大人を頼ろうという気持ちより、自分でなんとかしようという気持ちが芽生えていったのだ。
学校でいじめられても、決して親には言わなかった。
塾に通うのが嫌でも、辞めたいとは言わず、行ったフリをして本屋で時間を潰した。
悩み事ができれば、「どうすればいいだろうか」と自分で考え、時には嫌なことから逃げながら、親はもちろん、他人には頼るまいと歯を食いしばってきた。
そうやって行きてきた結果、形成された考えが、
何事もポジティブに考える
ということだった。
何かに失敗しても、
「自分が大きくなるチャンスだ」
「命を取られるわけじゃないんだから」
と考え、落ち込まないようにしてきた。
自然と他人にもこの考え方で接してきた。
落ち込んでいる友人には、
「悩んでたってしょうがないよ」
「逆に言えば、成長のチャンスだよ」
などと言って元気付けてきたつもりだった。
この考え方が合理的で正しいと思っていたのだ。
しかし、先日妻に言われた一言にショックを受けた。
資格試験のために講座を受けに行った妻に、スマホで
「今日の晩御飯は7時くらいだよ!」
「気をつけて帰っておいでねー!」
と元気づけるために、ポジティブなメッセージを送ったら、
「!を使われると、疲れるからやめて」
と言われたのだ。
どうも「!」を見るとやかましく思えてしまうらしい。
元気を押し付けられているように見えるというのだ。
「!」を見れば、心が奮い起つ筆者は、そんなことを感じたこともなかった。
これは、妻が筆者とは違う育てられ方をしてきたからだろう。
妻は落ち込んだ時、両親に優しく声をかけてもらっていたようなのである。
その声かけも、
「大変だったね」
「そうかそうか、可哀想に」
という、慰めるような言い方だったようだ。
いつも誰かに守られていると感じて生きてきた彼女だから、自ら元気を発する意味も含む「!」を見ると、「元気をださなければ」という脅迫観念に襲われ、疲れてしまうのだろう。
筆者夫婦には、まだまだ考え方のズレがたくさんある。
完全に分かり合えるには、もう少し時間がかかりそうだ。
分かり合えないと悩むより、このズレをむしろ楽しんだ方がいいと思うのは、きっと筆者が一番上の子だからなのだろう。