これまで、妻にずっと「話が面白くない」と言われ続けてきた筆者。
関西出身の筆者にとって、この言葉は他地域出身の人よりも心にグサリと刺さる。
アイデンティティを否定されたかのような、屈辱的な言葉なわけである。
自分に自信がもてなくなってはや数年。
「自分は面白くない人間なんだ」
「そういえば、自分が話す時は周囲の空気が止まる気がする」
などと自虐的に考えてきてきた筆者。
しかし先日、とうとう妻に
「その話面白い」
と褒められる日が来たのである。
その言葉を聞いた時は耳を疑った。
思わず妻の顔を見たほどである。
確かに彼女は笑顔になっていた。
感慨もひとしお。
胸がいっぱいになり、頑張ってきてよかった、と本当に嬉しく思った。
ただ一つ気にくわないのは、決してウケを狙って話したわけではないことである。
つまり、筆者はそれほど面白い話とは思っていなかったわけである。
どういう話か、ご紹介しよう。
先日行きつけのラーメン屋に一人で行こうと思った筆者。
わりと評判の高いラーメン屋で、行列ができることも多々ある。
時間はお昼12時前。
並ぶかもなー、と思い店に行ってみると、誰も並んでいない。
ラッキーと浮かれて店の前までくると、店先に出ているメニューの上に、
「スープ切れにつき、本日の営業は終了しました」
の紙が置かれているではないか。
え、まだ昼始まったばかりなのに。
不審に思い、店の中を覗いてみると、店員が暇を持て余すようにぼーっと立っている。
客も入っていない。
ガラス越しに店員と目があうと、その店員は満面の笑みになり、「どうぞ中へ」みたいな雰囲気を醸し出す。
店の中に入ると、「1名様ですか?」と普通に接客される。
スープ切れの紙のことをいうと、急に慌て出す店員たち。
「あー、だから今日全然客入らないのか!」
「◯◯ちゃん、スープ切れの紙持って入って!」
バタバタと紙を撤去する若い店員。
その後、美味しくラーメンをいただき、筆者が店を出る頃には店は客でいっぱいになっていた。
こんな話である。
はっきり言って、関西でこのレベルの話をすると、
「ありがちやな」
「ベタやん」
と一蹴されるだろう。
ただ、妻には「おバカで微笑ましい」話と高評価を受けた。
笑いのツボは人それぞれである。
筆者は、それまでの自分の価値観にこだわり過ぎていたのかもしれない。
筆者が面白いと思った話をすると、いつも妻は少し引き気味だった。
彼女には関西のアクの強い話があわないのだろう。
妻の笑いの方向性がなんとなくわかり、一つ賢くなった気がした一件であった。