少し前に、芸能人がネット上でバッシングを浴び、自殺する事件があった。
問題となっているのは、その芸能人を誹謗中傷した人たちだ。
匿名だからということで、中には面白半分で書き込んだ人もいるだろう。
たとえ大きな悪意がなかったとしても、その言葉は刃となって対象者に突き刺さる。
その切れ味はすさまじい。
言われた言葉が一生心に残る傷となることもある。
今回のように多数の人からそのような言葉を浴びせられるのは、何度もその刃で刺されてるのと同じことだ。
確かに、誹謗中傷した人は悪い。
まさか自殺するとは思いもしなかったのだろうが、善意にせよ悪意にせよ、自分の言葉が相手にどういう影響を与えるのかを考えずに発するのは、子供がやることと同じである。
ネットにはそういう側面がある。
匿名であることに加え、相手の顔が見えないことから、その書き込みをすることに心理的なハードルが低くなり、思いとどまる機会が失われるのだろう。
今回の事件で加害者となった人たちは、ネット上で攻撃にあっているらしい。
加害者への新たなバッシングが始まっているのだ。そうしたい気持ちはわかる。
しかし、今回の事件を深く考えてみるに、加害者を責める権利が我々にあるのか、ちょっと疑問に感じてしまう。
というのも、自分の人生を振り返ってみれば、自分も同じように他人に攻撃したことはあるように思うからだ。
筆者はSNSや掲示板等、ネット上で中傷をしたことはないが、若い頃、現実社会で周りの人たちに、心ない言葉を放ったことはあるように思う。
家族や友達。
胸に手を当てて振り返ってみてほしい。
皆さんもあるのではないだろうか。
言葉というのは、口にしたときは、その善悪に気づかないことが多い。
筆者も家に帰って、その日のことを振り替えり、あそこで言ったあの言葉、もしかしたら相手は嫌な思いをしたかもな、と思うことが多々あった。
そんな不完全な人間が、加害者を責める権利があるのだろうか、と思ってしまう。
もちろん命を奪ってしまうような酷いことを発するのは許されない。
しかし、その加害者を責めることでまた新たな被害者がでるかもしれないことを、発する前に十分考えるべきだ。