見出しのとおり、今日のトピックは重い。
これは筆者が常々思っていることだ。
ご存知のとおり、差別やいじめは世界中のどの国でも社会問題になっている。
差別もいじめも悪である。
みんなそう思っている。わかっているのだ。
しかし、これらは一向になくならない。
もちろん、半世紀以上前に比べるとマシにはなっているだろう。
世界中で人種差別や性差別は違法となった。
学校の授業でも、いじめに関する問題が取り上げられている。
しかし、撲滅からは程遠い。
どの国に行っても有色人種や女性に対する差別は存在し、また学校でのいじめ問題は絶えない。
一体何故か。
シンプルに答えると、人間が生き物だからである。
もっと詳しく言う。
生き物には生存本能や防衛本能がある。
そして差別やいじめはその本能が引き起こすことである。
つまり、差別やいじめは、人間の本能に基づく行為であり、撲滅にはその本能に反した行動をとらなくてはいけない。
わかりやすいように、差別する側・いじめる側、すなわち加害者側の立場で考えてみる。
何故彼らは差別するのか。あるいはいじめるのか。
理由は様々だろうが、それらの根本は、自分が被害者になることを防ぐためである。
おおよそ、加害者本人が意識しているか否かにかかわらず、差別やいじめの目的は、以下2つのケースに大別される。
ケース1:被害(不利益)の事前防止
ケース2:精神の安定化
ケース1とは要するに、「やられる前にやる」の考え方である。
多くの差別は、これに当てはまる。
例えば、人種差別。
コミュニティにおいて自分たちとは異なる種類の人間がいる。
これは生物にとって、警戒すべき状態である。
いつ何時、攻撃を受けるかわからない。
だから、異物を排除するように、何か被害を被る前に、異人種の相手を攻撃するのである。
縄張りの中に別グループのライオンが迷い込んだ時、その縄張りのボスがこれを攻撃するのと同じ要領である。
(人間の場合、暴力は法律に反して禁じられているため、精神的攻撃や抑圧等の行為をとることになる。)
また、男女差別も同様である。
太古の昔より、力で勝る男は、コミュニティの中心的存在で、女よりも優位な立場にあった。
しかし、男女の平等により、男と女が対等な地位になれば、男にとっては今まで享受してきた利益を失うことになる。
例えば、就職や進学などにおいて女性の機会獲得により、逆に男がその機会を失うのだ。
男が「女のくせに」と言って差別する背景には、既得権益の喪失を防ぐことがある。
既得権益を持つ者は、それを必死になって守ろうとする。
一度できた社会の階級が中々なくならないのも同様の理由からであり、これはつまり、不利益を受けることを防ぐための防衛本能が働いているのだ。
一部のいじめ問題もケース1に当てはまる。
誰かがいじめられているのを、見て見ぬ振りをしたり、同調していじめるのは、いじめっ子に逆らうことにより、自分が新たなターゲットになることを防ぐためである。
心当たりのある方も多いのではないだろうか。
ケース2は、いじめ問題の多くに見られる。
特に初期のいじめ、比較的小さないじめである。
ストレス等にさらされた子供が、不安定になった精神状態を安定化するために誰かを傷つける。
こういったケースである。
家庭環境に恵まれない子供が加害者になることが多い。
大人の場合、ストレスを抱えると、美味しいものを食べたり、旅行に行ったり、運動したり、買い物をしたりと別に発散できる機会がある。
しかし子供の場合、自由に使えるお金がなく、心のコントロールもまだ難しい。
だから、安易に誰かを傷つける道に走ってしまう。
なお生徒が自殺に追い込まれるような大きないじめ問題は、ケース1、ケース2が同時発生していることが多い。
最初に誰かをいじめ始める者がいる。それは、家庭環境に恵まれない等でストレスを抱える子である。
そして、その子によるいじめが始まると、他の子は自分がいじめのターゲットにならないように、同調していじめたり、無視したりする。
ひどいケースでは、先生まで加害者側に回ることもある。それは、影響力を持ついじめっ子に同調しておいたほうが、うまくクラスを運営できるという安易な計算が働いているからに他ならない。
以上のとおり、差別やいじめは主として、我々の生き物として生存本能、防衛本能が正常に働いているために起こる。
つまり人間が生き物である以上、差別やいじめを撲滅するのは極めて難しい。
もちろん、教育の徹底や相互理解の深化により、これらはある程度は軽減できるだろう。
しかし、撲滅は無理である。
そんなこと言い切れるのか? と思われるかもしれないが、少なくとも今現在、筆者はそう考えている。
というのも、人間はいけないとは頭で分かっていても、防衛本能のせいで、どうしても差別を冗長するような選択をしてしまうのである。
これを責めることはできない。
例えば、こんなケースを考えてみる。
二つの地域がある。
各地域の犯罪発生率は共に極めて低く、公園やスーパー等の周辺環境も同じ。
つまり、どちらに住んでも身の安全はある程度保証され、また快適さも同じ。地価や物価も全く同じ。
両者でただ一つ違うのは、地域Aには日本人だけが住んでいるのに対し、地域Bには日本人だけでなく、欧米、アフリカ、アジア、中東等、多様な人種が住んでいることである。
ここで間取り、家賃、住む便利さ等条件の全く同じマンションが、それぞれの地域にあったとする。
あなたは、地域Aと地域B、どちらのマンションに住むだろうか?
あなたが男で、独身なら、色んな国の人と仲良くなりたいという理由で地域Bを選ぶかもしれない。
しかし、あなたが女、または男であっても家庭を持っていて、小さな子供がいるとすると、果たして同じ選択をするだろうか。
おそらく、家庭を持つ人であれば大部分が、日本人ばかりの地域Aを選ぶのではないだろうか。
男は大丈夫だと思っていても、女が漠然とした不安を感じるために地域Aを選択することが多いだろう。
女は不安を感じやすい生き物で、それは家庭を守るという生存本能、防衛本能がきちんと機能しているからである。
そしてこの選択が、差別の序章なのである。
そういう選択をした大人の中には、不安だから、子供に対して地域Bにはあまり行くななどと言う者がいるだろう。
実際は、それほど危険でもないのに、漠然とした不安からそう言うのである。
さらには、子供を地域Bに行かせないために、地域Bに住むクラスメイトとは遊ぶな、とまで言う親も出てくるかもしれない。
言っている親本人も悪気があって言うわけではない。
本能的に地域Bに漠然とした不安を感じるから言うのである。
地域Aに住むことを選択したのだから、そういった不安を感じるのも自然である。
そしてここでもし地域Bで犯罪が起これば、地域Aの人間は「やっぱり地域Bは危険だ」という印象を持つだろう。
これにより地域Bに対する差別は冗長される。
実際には地域Aも同じ割合で犯罪が起こっているにもかかわらず、その事実には決して目を向けようとしない。
自分と異なる者に対して、人間はそこまで神経を尖らせ、不安感情を持ってしまうのだ。
率直に言って、親がどれだけ教育を受けていてもこの不安はなくならない。
むしろ高い教育を受けた者ほど、様々な考察に基づく警戒心が敏感に働き、差別を主導する者になりかねない。
ずいぶん後ろめきなことを書いてきたが、以上が、差別やいじめのメカニズムである。
メカニズムが分かれば、それを解消するような画期的なアイデアが生まれるかもしれない。
そう願って、今回差別やいじめを取り上げた。
筆者自身、学生時代にいじめの被害にあったことがあるため、差別やいじめのニュースを見るたび、本当に心が痛む。
心から、撲滅したいと考えている。
以上の考察を基に、筆者なりに、差別、いじめの撲滅方法をこれから考えていきたい。
あるいは他の誰かが画期的なアイデアを思いつく一助になれば、と心から願っている。