ダメ人間が埋没する社会

人間は、性格や生き方を変えられる生き物だと思う。

筆者自身、過去を振り返ってみても、人前で話すことが苦にならなくなったな、とか、責任感が出てきたな、とか、人の痛みがわかるようになってきたな、という変化を感じる。

 

これは良い変化だと思うし、この変化を経て、社会も筆者自身を受け入れてくれるようになったのかな、とも思う。

ただこうやって変化してこられたのは、何も筆者自身の努力だけによるものではない。

 

友人や家族の影響、職場の影響に依るところも大きく、そのため自分のことを恵まれている人間だな、とも思っている。

 

一方で世の中には、そういった環境に恵まれなかったために、良い変化ができなかった人もいる。

そういった人間の中には、法で裁かれないまでも倫理に反する行為をしたために、社会的な制裁を受ける人もいる。

企業倫理に反する行為や、不倫等様々だ。

 

そしてそういう行為をした人間の情報というのは、インターネットを通じて拡散して社会で大きな問題となり、それが原因で社会復帰が難しくなるというケースもままある。

 

わかりやすい例でいうと、芸能人やスポーツ選手のスキャンダルがそれに該当する。

 

このために、今の社会ではたとえ才能のある人であっても、一度の過ちで多くを失い、一生あるいは長い期間をその才能を生かせないまま過ごさざるを得ない、という事態がしばしば発生する。

 

現代は不寛容な社会だとも言われるが、昔なら大きな問題にもならなかった話が、インターネットを通じて誰もが自分の考えを発信できるようになったせいで、皆タガが外れたように意見を言うことで(時には、思ってもいないようなことを面白半分で発信するために)、大きな問題となってしまうのだ。

 

こういう事態を目の当たりにする思う。

 

これは社会全体で考えたときに、果たしてプラスなのだろうか、と。

 

才能がある人に対しては、犯罪に手を染めたのならともかく、皆が多少不快に思うようなことをしたとしても、その人の行動を制限するよりも、社会の一員として頑張ってもらった方が、我々全体にとって利益があるはずだ。

芸術やスポーツの分野で貢献できる人ならば、その人が能力を発揮できる旬の時期に活躍してもらう方がいいに決まっている。

 

なぜこうも、現代社会は不寛容なのだろうか。

 

少し前に、NHKで野口英世の特集が放送された。

黄熱病の研究など、医学界に大きな功績を残し、ノーベル賞の候補にもなった人物だ。

 

しかし野口は若い頃、大の酒好き、女好き、博打好きだったようだ。

あるとき、アメリカ留学が決まっていた野口は、自分が開いた送別会で、知人に援助してもらったアメリカへの留学費用(今のお金で300万円)を、酒と女に一晩で使い果たしてしまう。

 

本当にクズとしか言いようのないエピソードだが、野口は見捨てられなかった。

彼の才能を見込んだ血脇守之助が、渡米費用を高利貸しから借りてくれたのだ。

それに感激した野口は心を入れ替え、アメリカ留学をきっかけに医学界で大活躍をする。

 

突出した才能のある人物には、欠点も多い。

 

人の欠点を受け入れ、才能を伸ばす環境を与えてあげるのが、目指すべき社会の在りようではなかろうか。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。