夏になると思い出す嫌な思い出がある。
昔飼っていたペットの思い出だ。
小学生の頃、親にねだってミドリガメを買ってもらった。
嬉しくて、毎日世話をしたのだが、それも最初の数週間。
やがて夏休みが来て、遊ぶのに夢中で亀のことなどすっかり忘れてしまった。
夏休みが終わる頃だろうか。
ふと亀の存在を思い出し、飼っていたカゴを探したが、見つからない。
母親に亀の居場所を聞くと、冷たくこう言われた。
「とっくに干からびて死んだよ」
子供ながら、この体験はものすごくショックだった。
一つの命が、自分の怠惰のせいで失われた。
亀は、自分に飼われなければもっと長生きできたかもしれない。
炎天下の中、茹だる暑さであろうカゴの中で、苦しみながら死んでいった。
それを想像すると胸が締め付けられるような思いがした。
この体験以降、ペットを飼いたいと思ったことはない。
そして同時に、動物が粗末に扱われる様を見るのが辛くなった。
そのせいだろう。
ペットショップに行くと苦痛を感じる。
妻が猫好きなので、猫を見に一緒にペットショップに行くこともあるが、行くと必ず辛い気持ちになる。
小さなゲージの中に閉じ込められた子犬に子猫。
遊びたくて仕方のない子供の時期に、あんな小さな場所で不自由に暮らしているのが、見ていて悲しい。
あの販売手法には、ペットショップ側の悪意を感じざるを得ない。
あの売り方で、客に対して猫や犬の悲哀をアピールして、購買意欲を高めようとしている節がある。
なぜあんな販売手法が許されるのか、動物愛護団体がなぜ黙っていないのか、分からない。
そもそもペットを取り巻く環境は、人間のエゴにまみれている。
新種を生み出すためのむやみな交配に、オスの去勢。
ペットを持て余したときには、簡単に飼うことを放棄してしまう飼い主。
殺処分を待つ多くのペットたち。
筆者はこのペット産業が嫌で嫌で仕方ない。
筆者がペットを飼わないのは、過去のトラウマがあるのはもちろんだが、ペットを飼わないことによりペット産業が衰退すると考えているからだ。
飼う人が少なくなれば、やがて悲しい運命をたどるペットの数は少なくなるだろう。
一応断っておくが、世の中にはペットを必要としている人がいるのは知っている。
そして、動物にとっては、人間と共存することで繁栄するメリットがあることも理解している。
ただ、今のペットを取り巻く環境は、尋常ではない。
この命の粗末の仕方が許されて良いわけがない。
一匹でも多くのペットが辛い思いをしなくて済むように願うばかりだ。