妻の父、つまり筆者の義父は優しかったらしい。
その義父は結婚前に亡くなったので、筆者は会ったことはない。
妻曰く、末っ子で、女の子だった妻に対してとても優しかったらしく、何でも先回りして助けてくれたらしい。
妻が大学を選択したのも、義父に勧められてだったそうだ。
義父に絶対的な信頼があったのだろう。
そのせいなのだと思う。
妻は、困ったことがあれば、まず人を頼る癖がある。
少し考えれば自分で解決できるはずなのに、人に頼る癖ができてしまっているのだろう。
一方、筆者は真逆である。
3人兄弟の長男だったせいか、放ったらかしで育った。
そのせいで、困ったことがあったらまず自分で考える習慣ができた。
どうやったら切り抜けられるか。
怒られないようにするにはどうすれば良いか。
めちゃくちゃ考えて、実践してみる。
子供心には大変だったと記憶している。
なぜ大人は助けれくれないのか、と思っていたし、助けてくれる親を持つクラスメイトが羨ましかった。
だが大人になってから気づいた。
そういう子育てが大事だったのだ、と。
筆者の両親がそれをわかっていたとは思えないけれど、わからないことは自分で調べたり、困ったことはまず自分で解決しようという心構えができたのは、筆者にとって大きかったと思う。
突き詰めていけば、そういうことが本当の勉強なのだと思う。
与えられた課題を言われるがままこなすのではなく、困難にぶつかった時、それをどうやって乗り越えるかを考える。
そういう思考ができる人間が、本当に勉強してきた人間なのだろう。
つまり、勉強とは、教科書に書かれたことを覚えるのではなく、もっと身近な課題を解決する方法を考えることなのだ。
筆者にも娘がいる。
娘にはそういう教育をしたいと思う。