繋がりの糸が切れるとき

人との繋がりというのは不思議だ。

最後に会ったのはコロナ前。

そんな人が何人もいる。

その人と最後に会ったとき、これからしばらく会えなくなる、だなんて微塵も思わなかった。

人と会ったとき、その人と次いつ会えるかだなんて考えない。

そんなことは神のみぞ知ることだ。

小学生の頃、母方の祖父が亡くなった。

筆者のことをとても可愛いがってくれ、よく遊んでくれた。

そんな祖父が、あるとき病気になった。

痛みを我慢してたようで、診断された時は症状が重く、即入院。

家族はもちろん、お見舞いに行った。

けれど筆者は習い事や色々な都合もあって行けなかった。

今思えば、無理にでも都合をつけて会いに行くべきだったのだろう。

でもそんなこと、引っ込み思案な筆者が主張できるはずもなかった。

それに、まさか数週間後には亡くなるだなんて、想像もできなかった。

生きた祖父とは、その後会う機会がなかった。

病院から連絡があり、駆けつけたときには既に息を引き取った後だった。

病院のベッドで横たわる、祖父の亡骸を覚えている。

落ちくぼんだ目。土気色の皮膚。

まだ手には温もりがあった。

生きている祖父と最後に会った時、まさかもう元気な姿を見ることがないとは思いもしなかった。

あのとき、祖父と筆者とを繋ぐ糸が切れていただなんて。

思い返せば、もう何年も会っていない人がいる。

学生時代の友人。仕事を通して仲良くなった外国人。遠くに住む親や兄弟。

彼らとは次にいつ会えるのか。まだお互いを結ぶ糸は切れていないだろうか。

元来、積極的に人と会いたい、繋がりたい、と思う柄ではない。

でもこのコロナ禍という現象は、そんな筆者の心にも一石を投じている。

 

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