悪夢にうなされた。
全然知らない中年の男に追いかけられる夢だ。
廊下の向こう側にいて筆者を探している。
こちらの部屋に来ないように、筆者は必死にドアの前にバリケードを作る。
バリケードに筆者の足があたった。
その音のせいで、男がこちらを見た。
目があうと、背が低く、ハゲ散らかしたステテコ姿のその男はニヤリと笑った。
ドキリとして目が覚めた。
なんて嫌な夢だ。
朝から嫌な気持ちになる。
あのキテレツなオヤジ、一体誰なんだよ。
顔を洗いながら、夢の中の風景を思い返してふと気づいた。
夢で出てきたあの家は、実家だった。
いや、模様は違うけれど間取りは同じ。
狭くて、決して綺麗とはいえないところも同じ。
だから、その家の中を筆者は迷うことなく動くことができた。
筆者にとって、家と言われて自然と思い浮かぶのが実家ということなのだろうか。
そういえば、上京して以降に住んだ家の夢を見た記憶がない。
きっと、夢のような無意識下においては、人は幼少期の体験(原風景)に影響を受けるのだろう。
確かに、幼少期に体験したことや親に言われたことは、今でもしばしば思い出す。
そしてそのときに思ったこと、感じたことが、現在の自分自身の行動や言動の理由になっていたりもする。
筆者の場合、父親によく「お前は長男なんだから、下の子のことも考えろ」と言われた。
その教えは未だに筆者の行動原理に影響を与えている。
周りのことも考えるという意味で、なるべく周囲の人に迷惑をかけないように、また他人との軋轢を避けるようにしている。
他人の感情を考えず、自分本位に自由気ままに行動するのが苦手なのだ。
本当はもっと自由に行動したいし、自由に発想したいのに。
そういう意味で、親となった今、子供にどう接すれば良いか、いろいろ考えさせられる。
それが子供の行動原理に影響を与えるのだから。
そして子供の見る夢が、綺麗な風景、幸せな風景であってほしい。
そんなことも感じてしまうのは、やはり筆者が長男だからだろうか。