女性差別をなくしたいなら

今回は少し重い話題を取り上げたい。

 

女性差別についてだ。

 

就学や、就職、仕事の場において、女性が男性に比べ不利な扱いを受けることがある。

筆者の職場ではあまり見かけないが、確かにそういった扱いは存在するのだろう。

ずいぶん昔からある根深い問題だ。

 

女性差別について論じられるとき、大抵言われるのが、男性の意識を変えなければならないということだ。

 

女性は結婚や出産を機に仕事を辞めたり、仕事に時間を割けなくなるから、頑張って勉強したり、いい会社に就職しても仕方ない、という男性側の考えは今も根強く残っていると思う。

また、男性が多い職場において、同族意識からか、女性の採用を敬遠しがちになるということもあるかもしれない。

さらにあるのが、女性というのは弱い生き物だから、男性と同じような仕事を女性には任せられない、といった意識だ。

 

こういう意識は、男性が改めなければならないというのは、筆者も認めるところだ。

 

しかし一方で、女性自身が女性差別を助長している側面もあるのではないか、とも思う。

 

つまり、女性自身の振る舞いために、男性から下に見られてしまうということである。

 

たとえば、対等の関係にあるはずの女性と食事に出かけた際、男性が全額支払ったり、より多くを支払おうとすることがある。

一部の女性はラッキーと思ってそれに甘えてしまうかもしれないが、それは男性からすると、自分の方が上なんだという意識を持つきっかけになりかねない。

これは職場の同僚に限らず、共働きの恋人同士や夫婦などにも当てはまる。

身近な女性との間でそういう力関係を認識してしまうと、男性は余計に「女性は立場の弱い人だ」と勘違いしてしまうだろう。

 

また他の例としては、職場で「女性」を生かして仕事をするような人も、男性に変な意識を植え付ける可能性がある。

要するに、実力ではなく、お色気とか、可愛らしさとか、男を悦ばせるような振る舞いで、立ち回る女性だ。

それに悦んでしまう男性は、「やっぱり女性は守ってあげないと」とか「女性にはやさしくしてあげなくちゃ」などと勘違いしてしまう。

プライベートでの話ならいいのだが、職場でそれをすると、男性は仕事においても女性は弱い立場と認識してしまうだろう。

 

このような女性をみると、なぜ女性自ら自身の地位を貶めるようなことをするのだろう、などと考えてしまうのだが、これは女性にも大別して二つのタイプが存在するからではないか、と最近思うようになった。

 

それはつまり、女性差別を本当になくしたいタイプと、現状で満足しているタイプである。

 

前者は自分の能力を社会で最大限に発揮したい女性である。キャリアウーマンなどがこれに当てはまる。

そして後者は、基本的に男性に甘えたい女性である。

後者は、一家の大黒柱は男性だという古風な考え方を持っていて、自分は仕事もするかもしれないが、基本は家庭に収まっていたいという人である。

先に述べた女性差別をむしろ助長させてしまいかねない人が後者のタイプに当てはまる。

こういう女性は、頭では女性差別はなくすべきだとは思っているものの、自身の今の待遇にある程度満足しているために、現状に怒りを覚えているわけでも、差別について本気で考えているわけでもない。

だから、男性を勘違いさせるような言動や行動を無意識のうちにとってしまう。

 

後者のタイプの存在が、女性差別に対して男性の意識がなかなか変わらない原因の一つとしてあるのだと思う。

 

しかし、彼女たちを責めることはできない。

 

なぜなら、将来的に出産を考えている女性が、男性を頼ろうとするのは当然だし、人類の歴史上、女性が男性を頼ることでここまで繁栄できたのもまた事実だからである。

 

だから、女性差別について考えるのなら、女性には二つのタイプがいるんだということを、まずは男性に分からせた方がよい。

 

女性差別は、特に社会で本気で勝負したい女性のためになくすべきであり、一方で、男性に甘えて生きていきたい女性も中にはいるから、たとえそんな女性に出くわしたとしても、女性全体を下に見てはいけないよ、と。

 

こう書くと複雑だが、こういうフラットな視線を保てるように自分を意識づけて、公平な考えができるようになるというのは、様々な社会問題を考えるにおいて結構大事なことだと思う。

 

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