女性蔑視発言問題に思うこと

東京五輪・パラリンピック組織委員会の森会長の女性蔑視ともとれる発言。

「女性は話が長い」

このニュースをネットで見たのだが、実は最初、どこが女性蔑視なのかピンとこなかった。

 

女性が話好きなのは周知だし、それゆえ話も長くなるだろう。

 

ただ発言の前後も含め詳細を見ていくと、森会長の発言は、女性も出席する会議に関してのものだということがわかった。

 

つまり、会長の発言は

 

女性は話が長いから、会議で発言するな

 

というニュアンスを暗に含んでいると受け取れるため、女性蔑視とも受け取れると、大きな問題になったようだ。

 

森会長も含め、男性陣の多くは、騒動が国際社会にまで広がるとは思いもしなかったのではないだろうか。

 

筆者が最初勘違いしたように、会長の発言自体は女性の特徴を表しているに過ぎず、直接的に女性蔑視を表現したわけではない。

それ故男性の中には、この程度の発言で騒ぐほどのことか、と思っている人もいるように思う。

しかし、この社会の反応を見ても明らかなように、決してそのような考えで済ませてはいけない。

 

この反応の裏側には、女性からのメッセージが隠されているからだ。

 

今回の件で会長を糾弾している人の多くは女性である。

おそらく、彼女たちの多くは、過去に女性だからということで、社会で辛い思い、肩身の狭い思い、疎外感を味わった人たちなのではないだろうか。

そして、会長の発言が、そういった過去の思いを想起させているのだろう。

 

つまり、ここまで大きな問題にまで発展した背景には、それだけ多くの女性が女性差別を経験しているということなのだ。

それも、一度や二度ではなく、何度も経験し、それに対する憤りが長年蓄積されているのだ。

 

男女平等が叫ばれて久しいのに、未だに是正されない社会。

この社会に対する女性の憤りが、コップの水が溢れるように噴出したのが今回の件の背景にあると思うのだ。

 

アメリカの人種差別と同じように、女性差別もかなりセンシティブな段階に来つつある。

 

森会長の発言が女性蔑視にあたるか否か、という問題はさておき、今回の件は、女性差別についてもっと踏み込んで考えなければいけないという男性に対するメッセージを含んでいるのは間違いない。

 

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