筆者のことについて知ってもらうには、妻のことも知ってもらわねばならないと考えるのである。
筆者が、妻はキビシイキビシイと日々嘆いても、全くピンとこない読者もたくさんおられよう。
今回は、妻についてである。
筆者の妻も堅い仕事に就いている。
仕事に不平不満はあるようだが、一生懸命打ち込んでいる。
休みの日にも必要に応じて出勤するし、新しい部署に異動するたび、そこに馴染もうと努力している。
しかし、彼女に言わせれば、自身はあまり真面目ではないのだそうだ。
当初は信じられなかっただが、彼女の言わんとすることが段々とわかってきたのである。
妻はお父さんっ子だった。
両親は共働きで、母親、つまり筆者の義母は仕事が忙しく、あまり家事ができなかったそうである。
代わりに、家事をはじめ、子供たちの面倒を見たのが父親であった。
妻曰く、父親は彼女にとって完璧な人であった。
彼女が望んでいることにいち早く気づき、先回りして済ませておく。
そんな父親に彼女は絶大な信頼を置き、いつも頼りにしていたのである。
父親がダメだという理由で、学生時代は、恋愛は厳禁。
大学が遠くても、ずっと実家に住んで父親に守られていた。
そんな父親が亡くなったのは、彼女が二十代半ばのときであった。
癌である。発見時、症状は末期で、半年も経たずして別れることとなった。
父親が亡くなって約十年経つが、筆者には、彼女が未だに大好きだった父親の影を追いかけているように見える。
お父さんはもっと楽しい話をしてくれた。
お父さんはもっと情熱をもっていた。
妻が筆者に怒った時、よく言うセリフである。
筆者のライバルは故人なのである。
それも、彼女の好みや癖など、あらゆることをこの世で一番わかっている人である。
元カレなんかより、何十倍もやっかいな存在なわけである。
しかも、思い出が美化されているせいか、父親の真の姿以上の幻想を抱いているようにも見える。
妻は、お父さんの嫌なところなんて、一つもなかった、と言うのである。
勿論、筆者は彼女の言うことを100%信じてなどいない。
なぜ妻はこんな無茶なことを言うのか。
色々考えて筆者は思い至った。
妻はまだ父親との別れを終えていないのである。
癌という病気、そして迫り来る別れを彼女が受け入れる前に父親はこの世を去ったのである。
冒頭で書いた、彼女が自身を真面目でないという理由はここにあるように思う。
本当は、誰かに頼って生きたい。
何でもわがままを聞いてほしい。
子どもである。大人になりきれてないわけである。
妻自身も、自分の要求が過剰であることは、わかっているようである。
しかし、辛いとき、落ち込んだときその思いが溢れてしまうようだ。
妻もこの壁を乗り越えようと頑張っている。必死に戦っているように見える。
それがわかっているから、筆者も頑張ろうと思うのである。