忖度という言葉が少し前に流行った。
相手の気持ちを推し量って、依頼されてもないのに相手のために行動する様を言う。
自分より強い立場にいる人間に対して行う行為であると言えよう。
総理がこう答弁したから、文書を書き換えなければ。
社長が段差で躓いたから、この段差はスロープにしよう。
こういった具合である。
忖度を行う心理的トリガーは恐怖心であろう。
総理に怒られないように。
社長がヘソを曲げて物事が悪い方向に進まないように。
言いたいことを表に出さない、日本人特有の文化と言えるのかもしれない。
さて、翻って筆者の話であるが、ザ・日本人である筆者も、当然のように妻に忖度しているわけである。
ビールを飲むと怒られるのでは。
NHKをよく観ると言っていたから、お笑い番組を彼女の前で観るのはやめよう。
こう言った具合である。
気を遣ったつもりが、それが裏目に出たこともある。
ラ・ラ・ランドという映画があった。
ジャズピアニストと女優の卵との恋を描いた映画で、劇中にジャズがたくさん流れる。
ジャズ好きの筆者は、妻を誘って一緒に観に行ったのである。
音楽もダンスも素晴らしく、筆者は大変満足だったのだが、妻の反応が芳しくない。
どうしたのかと尋ねてみると、ジャズがあまり好きでないとのことであった。
それは初耳であった。
そこで筆者は、それ以後彼女の前でジャズを聴かないようにした。
なるべく彼女の好きなクラシックをかけるようにしたのである。
映画の中で流れていた曲は素晴らしかったのだが、彼女の意向を察し、欲しかったサウンドトラックも買わなかったのである。
彼女にそうするように言われたわけでもない。
忖度したわけである。
しかし数ヶ月経ったある日、なんと妻がその映画のサウンドトラックを買ってきたのである。
驚いて聞いてみると、劇中の一曲が聴きたくなったから買ってきたと言うのである。
最初は不思議に思ったが、冷静になって考えてみると、好きでないジャンルの曲でも良いと思うものはある。
それに、気分によっては好み以外の曲も聴きたくなることもあるであろう。
しかし、愚かな筆者は、そんなことも考えず「ジャズ嫌いだと思ってたよ」と妻に言ってしまったわけである。
その結果、「買ってきて何が悪いの」と逆に怒られてしまったのである。
筆者の忖度が裏目に出た例である。
断っておくが、他人に対して気を使うのは大事である。
しかし、それが行き過ぎて忖度になるといけない。
バランス感覚が大事である。
と、ここまで書いてふと思う。
これは気を遣いすぎかなと思い、何もしなかったことで妻に怒られたこともある。
また、これは喜ぶだろうなと思ってやってあげたことが妻にとって余計だったこともある。
自分なりにバランスをとったつもりだったのに怒られるわけである。
妻の心を読み取るのは、なかなか難しい。
そしてさらに難しいのは、同じ行動でも、妻の気分次第で気遣いにも忖度にもなり得ることである。
一週間前に喜ばれたことが、今日も感謝されるとは限らないのである。
そんなのやんなくていいよ、と言われることもしばしばである。
やはり、思うのである。
妻という生き物は本当に難しい。