このエッセイでは今まで、いかに筆者が妻に苦労しているか書いてきた。
言い換えれば、妻の悪いところばかり書いているわけである。
それはフェアではない。
全ての人間がそうであるように、妻にももちろん良いところがある。
見られてないのをいいことに、妻をこき下ろしているようで後ろめたい。
今回は妻の良いところを書いてみたい。
今までの罪滅ぼしのようなものである。
すでに何度か書いているが、妻は結婚するまでずっと実家暮らしであった。
料理など、家事の多くは親に任せていたわけである。
一方の筆者は、一人暮らしを十年以上続けていた。
その間、家事はそこそこやっていた。
普通の料理はもちろん、餃子を作ったり、稀にチャーシューを作ったりもしていた。
結婚をした時点では、筆者の方が料理の腕が良かった。
これは、確実に言える。
しかし、今では妻の方が料理がうまい。
うまいというのは、味も旨いというのも掛かっている。
筆者よりも舌が良いのであろう。
味の微妙な変化にも敏感であり、味に対するこだわりも強い。
以前、筆者が料理を作ったときのことである。
疲れていたので、野菜を切ってタレと絡めて炒めるだけで一品出来る料理の素を買ってきて作ったことがある。
しかし、それは彼女の不興を買った。
不自然な味がする。
こう言うのである。
敏感な舌である。
それ以来、ちゃんと調味料を使って作ることにしているのであるが、どれも不評である。
実際、彼女が作る方が断然美味しいのである。
薄味だが、筆者の舌にも合っている。
妻は気に入った料理家の本を何冊も買ってきて、家で勉強もしている。
努力もしているのである。
しかも手際が良い。
一時間くらいで、二品、三品と作るのである。
切った野菜を冷凍しているのも、取り出して手早く作るためである。
結婚当初は、筆者も週に一度は料理を作っていた。
彼女ばかりに作らせるのは申し訳ないからである。
夫の鑑ではないか。
しかし今では、全く作っていない。
決してズボラになったからではない。
あなたの料理、あまり美味しくないの。
こう言うわけである。
非常に手厳しい。
しかし、実際、彼女が作る方が味が良いのだからぐうの音もでない。
筆者は、白旗を掲げてとキッチンを明け渡したのである。
そうしてから、妻は弁当を作ってくれるようになったし、朝食を用意してくれるようになった。
そういうわけで、料理に関して筆者がやっていることといえば、たまに依頼されるお使いくらいである。
そして、とにかく彼女の料理を褒めまくっている。
一品一品丁寧に褒めるのである。
これはネギの甘みが出てるね。
季節の野菜は美味しいな。
きのこはやっぱりバターと合うね。
こんな調子である。
妻も機嫌よく作ってくれるのだから、今のところ、この作戦は功を奏している。
夫婦関係を維持するのも大変である。
・・・妻を褒めようと思ったら、結局また愚痴になってしまったのである。
気をつけねば。