自分が子育てをするようになって初めて、子育て経験者に対する尊敬の念が芽生えるようになった。
もちろん、自分の父親や母親に対しても。
子育てに要する時間は膨大である。
授乳、風呂、あやし、寝かしつけなど、一日の大半が子供のために消えてなくなる。
赤子は昼夜関係なく泣く。
そのため、睡眠中だろうが、体調不良だろうが、子供のために自分の身体に鞭を打たなければならない。
最近は子育てする男性も増えてはいるが、やはり世の中のお母さんは、文字どおり身を削って子育てをしている。
そんな子育てだが、実際に経験して思ったことがある。
子育てに生産性はまるでない。
はっきり言ってしまって申し訳ないが、これは事実だ。
しかし、だからと言って子育てに対して否定的な考えを持っているわけではないので、早とちりしないでほしい。
実際、授乳や寝かしつけ、あやしにより何か生み出しているかといえば何も生み出していない。
子育てというのは、子供が気持ちよく生活できるよう、ひたすら彼ら・彼女らの世話・しつけをすることだ。
直接的に他の誰かを幸せにしたり、我々の生活を豊かにしているかといえば、そんなことはない。
子育てをしても、他人を喜ばせるようなことはできない。
おそらく、ここに子育ての虚しさ・闇があるのではないかと思う。
(もちろん、人口増加による日本の発展など、将来期待できるものもあるが、世の中の母親は誰もそんなもののために頑張っていない。)
子育ては時として、焦りにも似た感情を覚えるときがある。
どんなに子供が可愛くても、あまりに子育てにどっぷりと浸かっていると、近視眼的になり、自分が何のために頑張っているのかわからなくなる。
毎日不安やストレスと戦いながら頑張っているのに、どれだけ頑張っても誰にも評価されない。
好きなこと、やりたいことを我慢しているのに、毎日身を削っているのに、それが当たり前と見なされる。
命の育みという重い責任を負わされる一方、見返りは一切ない。
だから子育ては尊いのだ。
子育て経験者に畏敬の念を抱かずにいられない。
日本の著名な経営者は、子供が生まれたものの、子供、家族が自分の邪魔になるからという理由で離婚したらしい。
経済のこと、金儲けのことだけを考えている人には、子育ては向かないだろう。
経済活動と子育てとは両極にある。
性質は全く違うが、どちらか一方でも欠けてしまえば、日本は立ち行かなくなる。
政府はもちろん、経済活動に勤しむ人にも、もっと子育ての重要性について理解を深めてほしい。