先日一人でラーメン屋に行った時のこと。
月に数回行くお気に入りの店で、鶏ベースのコクのある白濁スープが売り。
女性にも人気の店である。
買ったのは、いつも食べるラーメンと、お腹が減っていたのでそぼろご飯の食券。
それらを店員に渡すと、いつものようにカウンター席に案内された。
平日夕方だったのだが、既に数人の客がいて、
カウンター席、テーブル席に別れて座っている。
まだ早い時間だったからか、空席が目立つ。
カウンター席は奥行きが狭い。
ノートに書き込んだことを整理したかったのだが、
この広さではできないなと思い断念。
まあ一人なので仕方がない。
やがてラーメンが来たので美味しく味わっていると、新たな客がやってきた。
女性一名。
普通のラーメン屋ならあまり見ない光景だが、
この店ではそれほど珍しいものではない。
普通に食券を買い、それを店員に渡す女性。
店員は、食券を確認し、注文を確認してから言った。
「テーブル席にどうぞ」
え。
えええ!?
テーブル席!?
左右を見てみる。
カウンターは6席くらいなのだが、座っているのは筆者と男性一人だけ。
全然余裕はある。
なんで!?という思いでテーブル席の方を見てみる。
2人掛けのテーブルが3つあるのだが、
今案内された客の他にもう一人女性が座っているではないか。
何だこれは。
腑に落ちない気持ちでなおもラーメンを食べていると、また客がやってきた。
男性客一人。
さあ、どうなるか。
麺を啜りながら耳をそばだてていると、やがて
「カウンター席にどうぞ」
これでもう確信した。
この店員(若い女性)は、男性の一人客をカウンター、
女性の一人客をテーブルに振り分けているのだ。
全然いいよ。
全然いい。
全然いいんだけど・・・・
何でそんなことする?
女性客に居心地のいいテーブル席を提供することで、
女性客を増やそうという戦略なのだろうか。
なんか気持ちが悪い。モヤモヤしたものが残る。
これは常日頃から思っていたことなのだが、女性はその弱さを武器にして、
何かと優遇されすぎていないだろうか。
レディファーストがその最たるものだ。
何でも女性から先に。
女性はテーブル席の奥の方に。
食事は男性が支払う。
女性には優しくし、女性のわがままは黙って聞く。
なぜなら、女性はか弱い生き物だから。
しかし、筆者はわからない。
か弱いからといって、テーブル席の奥に座らなければならないか。
仕事をしている女性が食べたものを、男が払わないといけないのか。
か弱いというだけで、何でわがままを聞かないといけないのか。
こんなことは、きっと世の男なら一度は思ったことがあるに違いない。
男女差別とは女性が差別される側のことを言うが、
これでは逆の意味になってしまう。
しかしこんなことを言うと、女性はこう訴えるだろう。
「男らしくない」
「器の小さいつまらない男だ」
全然論理的でない反論だが、そう言われると、男は何も言い返せなくなる。
女性はそれを知っているのだ。
知っていて言っているのだからズルいことこの上ない。
女性に言いたい。
あなたはそんなに弱い生き物ですか?
確かに体力や運動能力は男よりも劣るが、男よりも勝っていることも多々ある。
男よりも肝が座っている人も多いし、図太い。
子供を産む痛みにだって耐えられる。
母は強し、とはよく言われることである。
体力や運動能力だって、高めようと思えば高められるはずである。
しかし、多くの女性は高めようとしない。
(もちろん、鍛えたところで男の能力を超えるのは難しいが、
優劣はあまり大きな問題ではない。か弱さから抜けられればいいのだ。)
女性が自分はか弱いと思い込んでいる一番大きい要因は、
親や学校による教育にあると思う。
女の子は男の子よりも弱い。
男の子は女の子を守るものだ。
小さい頃からそう言われて育てられたから、それほど弱くないのに、
自分はか弱いと思い込んでいるのではないか。
そして弱い地位でいる方が居心地がいいから、
そこから抜け出そうとしないだけではないか。
筆者は、女性に対するこういった優遇が、むしろ(通常の意味での)
男女差別を助長していると考えている。
悪いのは、その地位に甘んじている女性だけではない。
男もいい思いをしたいがために、女性を甘やかしている節がある。
その話は、また後日書こう。
とにかくこの日、筆者はモヤモヤを抱えたまま、ラーメンとそぼろご飯を食べた。
そして食べ過ぎたせいで、そのモヤモヤは胸のムカムカへと変わり、
その夜苦しむことになった。