昔、祖母が言ったことを、ふとした拍子に思い出す。
結局、死ぬときは一人やで。
祖母は数年前、事故であばら骨を折って入院したことをきっかけに、認知症を発症した。
その後症状は少しずつ進み、今では孫である筆者の顔も判別できなくなっている。
90歳を超えているので、年老いた父母では面倒が見きれず、数年前、施設に入った。
筆者も田舎に帰った時に会ってはいたが、コロナ禍になってからは、全く会えずにいる。
祖母だけではない。
職場の同僚や、知人とも会う機会が格段に減った。
コロナのせいで、孤独化が進んでいるのは間違いない。
こんな状況の中、冒頭の祖母の言葉を思い出すのだ。
祖父は20年以上前に亡くなっている。
それ以来、ずっと一人暮らし。
歳を重ねる中で、近所に住む友人、知人にも先立たれた。
身体が不自由になり、少なくなった友人にもなかなか会うことが叶わない。
そういう状況の中で、思わず漏れ出た一言だったのかもしれない。
人間は、誰しも孤独を抱えている、とよく言われる。
だが、ここでいう孤独とは、他人から理解してもらえないという孤独だ。
周りに、自分を知る人がいる前提の孤独。
祖母の言う孤独とは本質的に違う。
祖母は、外界との接触が減る寂しさを言っているのだ。
コロナのせいで、祖母が感じた辛さに、少し触れた気がした。
今度田舎に帰ったときは、真っ先に祖母の施設に行こうと思う。