自己開示の難しさ

どれほど徳の高い人だって、大なり小なり他人を羨むことはあるだろう。

あまり人を羨まないようにしていても、やはりそこは人間。

筆者の場合、自己開示の上手な人を羨ましく感じる。

 

自尊心が高いせいなのだろうか。

昔から自分の心の内を話すのが苦手だった。

それまで普通に話していても、自分のプライベートのこととなると、

急に話すのが億劫になる。

 

大人になって、その傾向はマシにはなったものの、

やはり全てを本音で話そうとすると息苦しさを感じる。

 

あっけらかんと、自分の失敗談や苦労話をしている人が本当に羨ましい。

そういう人の話はだいたい面白いので、余計に羨ましく感じる。

 

筆者の自己開示能力の低さは筋金入りだ。

子供の頃は、友だちが家に遊びにくるのが嫌だった。

狭くて、あまり綺麗でない家の中を見られるのが嫌だったのだ。

自分の心の内を覗かれるような気持ちにもなる。

 

また、自分が好きなものについて人から聞かれるのが嫌だった。

共感されなかったらどうしようという心理が働いていたと思う。

自分の好きなものについて熱く語れる能力がその人の魅力になると気づいたのは、

大人になってからだ。

 

じゃあ酒の力を借りて自分をさらけ出すか、とも思うが、

筆者は酒を飲むとますます冷静になってしまうので逆効果だ。

 

妻には、酒を飲んでも全く面白くないから飲むな、とまで言われる始末。

そんな妻も自己開示力が低いほうだ。

筆者よりはマシだが。

だから、お互い自分のことをなかなか話せず、あまり話も盛り上がらない。

 

そんなこともあって、少しでも楽しい話ができるようにと、

このエッセイを書き始めたわけだが、エッセイを書いだからといって、

自己開示力が高まるわけではない。

もちろん、このエッセイでは本音を書いているつもりだ。

しかし、それは筆者のことを全く知らない不特定多数が読むことを

想定しているから、プライベートのことを書いても

気恥ずかしさはまるでないのであって、

知人に対して話すものとはまた心持ちが違う。

 

顔見知りの人に、どれだけ自己開示できるか。

 

それが筆者の当座の課題である。

 

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