苦しみは必要か

これまでの筆者の経験から、辛いとき、苦しいときにもがいた経験というのは、自分を成長させてくれる。

とにかく逃げずにもがく。

そこで見出した解決策や、そのときの気分のコントロール方法というのは、その人の糧になる。その後の人生で必ず生きてくる。

だが、その過程では、時に過大なストレスに見舞われる。

筆者も過去に壁にぶち当たった時、一体どうしたものかと思い悩んだことがある。

筆者の場合、人間関係が絡むとよく悩む。

弱音を人に吐ければいいが、なかなかいい年をした男がそういうわけにもいかない。

ストレスは結構たまったし、白髪も増えた。

一方で、ストレスを溜めるな、とも言われる。

長生きのための健康法だ。

ストレスは健康を害し、寿命を縮めるだけ。

ストレスを溜めるぐらいだったら、多少体に悪くても好きなものを食べた方がよい。

そういうことを言う人さえいる。

そういう人は、嫌なことと向き合うことで得られる成長など必要ないというのだろうか。

あるいは、人生なんて楽しんだもの勝ちなのだから、仕事なんて適当にやっておけばよいということなのだろうか。

それはそれで、あとあと困ったことになり、結果的にストレスに見舞われそうな気もする。

組織に属さず、好きなことをやって、気ままに生きれば良い。

今の若者にはそんな考えを持っている人が増えているように思う。

確かに、会社勤めなんてしなくてもいいと思う。

やりたいことをやって、嫌なことを考えずに食べていけるのであれば、それが一番いい。

しかし、好きなことを仕事にできない人(その分野で才能のない人)はどうすれば良いか?

好きでもない分野で、組織に属し、ストレスを抱えながら生きていくしかない。

そもそも皆が好きなことをすれば、社会が成り立たない。

好きな道に進みなさいと大人は教えるが、そういう道に進める人は恵まれた人だけだ。

誰かは、好きでもない仕事をしなければならない。

しかし、それが社会を成り立たせるためには必要なことなのだ。

考え方次第、と言う人もいる。

嫌な仕事は、嫌だと思うから嫌なのだ、と。

確かに、仕事をする上で、その仕事の楽しい部分を見つけるのは大切だ。

筆者も努めてそうしている。

だが、それも限度がある。

適性もあるし、職場環境の問題もある。

そもそも好きなことをやっていてもストレスフリーだなんてことはあり得ない。

うまくいかないことはあるし、孤独を感じることもあるだろう。

巷にあふれる「ストレスを溜めるな」というメッセージは、言い換えるなら、「ストレスとうまく付き合おう」ということなのではないだろうか。

ストレスと向き合い、自分の成長に昇華させる。

それが浸透させなければならないメッセージなのだ。

 

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