小学校のとき、先生が放った一言を未だに覚えている。
「お前らが今生きてんのはな、単に運が良かっただけや」
学年全員が体育館に集まって、交通安全を学ぶ授業でのことだった。
警察を呼んでの授業だったのだが、冒頭のイントロダクションで先生がその言葉を放った。
これを聞いたとき、ガツンと頭を殴られた気がした。
初めて死というものが案外身近にあると感じた瞬間だったかもしれない。
その先生の名前は忘れたが、風貌はよく覚えている。
一年中ジャージ姿で、天然パーマに無精髭。
体育が得意で、細身で面長で色黒だった。
面白い人だったが、上品さはまるでなく、先生の中でも、ちょっと変わっている人だった。
その先生が、いつもとは違って、やけに真剣な表情、迫力のある声で言ったのだ。
純粋な小学生には、その一言だけで十分効き目があった。
先生の言うとおり、生と死には偶発性がつきまとう。
例えば、以下のように。
普段はとおらない交差点で、信号無視して突っ込んできた車に轢かれて亡くなった。
大地震が発生して津波の被害にあったが、たまたま高台を営業中だったので助かった。会社にいた同僚は津波にのまれてなくなった。
親からの遺伝で難病になり、若くして命を落とした。弟にはその病気は遺伝せず長生きした。
もちろん、自ら命を絶つなど偶然ではない死も存在するが、冒頭の先生の言葉は概ね正しい。
その言葉を強烈に思い起こされる出来事が、数年前にあった。
筆者には高校、大学と同じだった友人がいた。
就職を機に二人とも上京し、以来、年に一度は二人で酒を酌み交わす仲だった。
連絡を密にとるわけではない。年に一度、そろそろあいつと飲みたいな思ったときに連絡して会う程度。
会えば、昔話もするし、お互い悩んでいることも話す。
バカな話もした。
ピュアな男で、将来はこうなりたいという青臭い話もできる友人。
年に一度会うのが楽しみだった。
前回会った時からどう変わったのか、思いを寄せる女性にフラれてから立ち直ったのか・・・
ある年、いつものように飲みに誘った。
しかしいつまで経っても返事がない。いつもならすぐに返事があるのに。
数日後、やっと返事があった。しかし、それは友人からではなかった。
彼の母親からの返事だった。
メールは、彼の死を知らせるものだった。
友人が前年亡くなったこと。
原因不明の突然死だったこと。
たくさんの友人が彼の死を悼んでくれたこと。
そして最後に、彼と仲良くしていることへの感謝の意が書かれていた。
その友人が亡くなったのは、前回二人で飲んでから三ヶ月後くらいだった。
彼が亡くなってから九ヶ月ほどの間、筆者は、彼の死を全く知らずに生活をしていたのだ。
そのあと彼の実家の方へ線香をあげに行ったのだが、この出来事は筆者にとてもショックだった。
なぜもっと早く、彼の死を知ることができなかったんだという憤りもある。
しかしそれ以上に、あの若さでなぜ友人が死ななければならなかったのかという怒りの方が強かった。
聞けば、本当に突然死だったようだ。東京の家で睡眠中、急に心臓が止まったのだそうだ。
原因不明で、防ぎようがなかった。
その話を聞いて、冒頭の先生の言葉が思い出された。
死は誰にでも急に訪れ得る。
今生きていることは運がいいから。
日々の生活に追われると忘れがちになる生の喜び。
一瞬一瞬の大切さ。
もう少し噛み締めて生きてみようと思う。