映画や小説には、「タイムトラベルもの」というジャンルがある。
過去や未来に行って、時に歴史を変えてしまうという、なんとも夢のあるジャンルだ。
物語の中で、登場人物は時として過去の同じ場面に何度も戻ることがある。
一度のタイムトラベルでは目的を達せなかったため、何度も挑戦しようという目的だ。
その場面では毎回まったく同じことが起こるから、タイムトラベルを繰り返していくと、段々と勝手がわかってきて、最終的に目的を達することができる。
しかし、ここで疑問が生じる。
果たして、過去のその場面では、毎回同じ事象が起こるものなのだろうか。
世の中の事象の多くはランダムに発生する。
転がしたサイコロの目はランダムで出るし、蹴った石ころが描く軌道にもランダム性がある。
コップを落としたときに割れた破片がどう飛び散るかもランダム。
株価や為替の値動きもランダムの要素が大きな割合を占める。
また世の中に溢れるスマートフォン等の高機能デバイスは、ランダムに数を発生させるランダム関数が用いられている。
たとえばスマホゲームなどでは、毎回違うタイミングで敵から攻撃がくることになる。
そんなランダム性に溢れるこの世界で、同じ場面に戻ってきたとして、果たして「寸分の狂いもなく」同じ事象が起きるのだろうか。
もし毎回同じ事象が起こるのであれば、それはもうランダム性があるとはいえず、世の中は予め定められた「必然の道」を進んでいることになる。
つまり、過去のある場面に何度も戻れば、毎回違う事象が発生すると考えるのが自然ではないだろうか。
そうであるならば、タイムトラベルの目的によっては、過去に戻るという行為だけで、その場面でランダム性がうまく働くことによって、特に何もしなくても目的を達せられてしまうかもしれない。
しかしそんな物語、誰も読みたいと思わない。
だから創作の分野においては、過去に起こったことは必ず同じことが起こるという設定にしているのではないだろうか。
そしてそれが世間に浸透しているのではないか。
筆者がタイムトラベルものを書くなら、このランダム性を加味した物語を書こうと思う。