結婚してから、夫婦で互いの価値観・感覚が違う、と感じる機会は多いであろう。
食の好み、部屋の模様、洗濯物のたたみ方、テレビの音量。
枚挙に暇がないのである。
何せ生まれ育った環境が違うのである。
ある程度は仕方あるまい。
感覚が違うと、何かとストレスがたまるわけである。
感覚とは、言ってしまえば、自分のものさしである。
感覚が違うとは、ものさしが違うわけである。
自分のものさし、すなわち基準に合わないことをするのは、気分が優れない。
多くの夫婦は、結婚前、互いの持つものさしが似ているか、フィートとセンチメートル等、単位が違わないかをそれとなく確認しておくものであろう。
確認した上で、ああ、この人とは上手くやっていけそうだ、などと判断するわけである。
さてここに、結婚前にその判断を怠った夫婦がいる。
すなわち、筆者とその妻である。
特に筆者は、金銭感覚にその違いを感じるのである。
筆者の家は、決して裕福な家庭ではなかった。
父親は高校卒業後、決して給料の高くない職場に就職し、母親は専業主婦でパートに出ていた。
筆者は三人兄弟の一番上である。
裕福でない上に兄弟も多い。
筆者の記憶の中でも贅沢をした覚えがない。
月に一度食べに行くファミリーレストランが、数少ない贅沢であった。
また、洗濯物の量を減らすためか、同じ服を何日も続けて着ていた。
周りの友達と見比べながら、何度も惨めな思いをしていたわけである。
小学校六年の頃、母親に何度もお願いして、とうとう小遣いをもらえるようになった。
月に120円であった。
筆者は嬉しかったのである。
お金を貯めて欲しいものを買おうと、ホクホクしていたのである。
しかし、ある日友人に言われるのである。
120円で一ヶ月どうやって生きていくの?
その友人は、月に三千円小遣いをもらっていたのである。
彼は、おまけ付きのお菓子に夢中になっていて、小遣いの多くをそれにつぎ込んでいた。
そして友人は、食べきれないお菓子を筆者に恵もうとするのである。
むっとして筆者がその申し出を断るのを、彼は不思議そうに見つめるのである。
恵まれる側の気持ちは、裕福な人間にはわかるまい。
断っておくが、決して、筆者の家が困窮していたというわけではない。
軽であるが、家には車があったし、学習塾にも通わせてくれた。
兄弟三人、大学まで出してくれたのである。
自慢の、とまでは言わないが、両親の子供であることを、筆者は誇りに思っている。
だから、就職してから結婚するまで、毎月微々たる額であるが仕送りをしていたのである。
一方、妻の家である。
両親は共働きで、不自由のない生活をしていたようである。
驚いたことに、彼女はアルバイトをしたことがないらしい。
では、大学の頃など、遊ぶお金はどうしていたのか。
両親に援助してもらっていたようなのである。
それが良いか悪いかを議論したいのではない。
筆者と妻の金銭感覚が大きく異なるのは、賢明な読者であればすぐにおわかりだろう。
筆者の場合、毎月使うお金をあらかじめ決めておく。
そして可能な範囲で、決めた金額以上を使わないようにする。
そうやってお金を貯めるのである。
妻も貯金するという感覚はあるようである。
具体的な額は知らないが、毎月いくらかは貯めているらしい。
しかし、お金を貯めると宣言した傍からすぐ使ってしまうのである。
セールをしていた。たまらなく欲しくなった。ついつい買っちゃった。
言い訳は様々である。
家賃、駐車場代、公共料金など、生活費の大半を払っているのは筆者である。
妻の支払いは、食費の一部くらいである。
そそに文句があるのではない。女性なのだから化粧品は必要だし、美味しいものが好きなのだから交際費もかかる。
筆者が困っているのは、毎月、筆者の出費が多いのに、彼女が平気で高いモノをねだることである。
テレビ買い替えて。ソファ買い換えて。
今あるものはまだまだ使えるのに、である。
それをなんとかなだめすかして、購入を先送りにするのが筆者の仕事なのである。
結婚は、金銭感覚が同じか、自分よりもけちな人とする方が良い。
自分の消費にブレーキをかけてくれる方が良いに決まっている。
かと言って、守銭奴と結婚するのも大変であろうが、いい塩梅の人を見つけるのが大事である。