エッセイを書く意味

飽きっぽい筆者であるが、今のところ不定期ながらエッセイを書きつづけている。

三日坊主にならなくて良かったのである。

プロフィールにも書いたように、筆者は作家を目指している。
作家の中でも特に小説家である。

ミステリ作家になる。
それが筆者の夢である。

作家を目指す上で、このエッセイがどんなメリットをもたらすのか考えてみたが、ほぼ無いのではないかと思うのである。
エッセイを書いて面白い人間になれば、家庭が円満になり、小説に集中できる。
確かにそうかもしれないが、だからといって小説家になれるわけではない。

もちろん、エッセイを書くことで文章力は向上するであろう。
しかし、文章が上手くなりたいなら、小説を書けば良いのである。
小説家になるための一番の近道は、小説を書くことに違いない。

このエッセイが出版社の目に留まり、エッセイを出版できるのでは?

あり得ない。宝くじが当たるくらい可能性が低いであろう。
書籍の中でも、エッセイは売上部数が期待できないジャンルと言われている。

有名人なら、まだ売上が見込めるであろう。
たがどこの馬の骨がわからない、読者どころか妻すらも満足させてやれない、しがない男の書いたものを誰が読みたいのか?

きっと誰も読みたくないであろう。

ここまで書いて、自分で虚しくなってくるのである。

今書いているエッセイも、一体誰が読んでくれるのか、誰が喜んでくれるのか、と。

特別、何か身になる内容でもなく、何かお得な情報があるわけでもない。
ただひたすら、家庭の恥を垂れ流しているだけである。

だから筆者は思うのである。
このエッセイは、あくまで自分と妻の仲のために書いているのであって、誰かに感動を与えたり、感心させたり、元気づけたりといった、高尚なことを目標するものではない、と。

欲張ってあれもこれもと目指せば、きっと何も得られないであろう。

ひたすら、無心で書くに限るのである。

小説の執筆も然りであるが、文章を書くというのは、モチベーションの維持が難しい作業である。

そういう意味で、小説家になるための良い修行になっているのかもしれない。

 

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