銀紙を噛んだときの激痛は、誰しも経験があるのではないだろうか。
あの脳天を突き抜けるような痛み。
全身に電気が流れるような衝撃。
なぜ銀紙を噛むと痛みを覚えるのか。
その原理は知らないが、あの不快さは
一人の人間がその人生の中で感じる不快さの中でも、かなり異質なものだと思う。
少なくとも、あれと同じような痛みを、筆者はまだ感じたことがない。
多くの場合、あの不快さはなんの前触れもなくやってる。
純粋無垢な赤ずきんに例えれば、
おばあちゃんと信じていたのが狼だったくらい突然である。
筆者の場合、学校の家庭科の授業の最中、同級生に勧められて噛んだ。
あのときの衝撃は未だに忘れられない。
それまでに経験したどの痛みとも異なる異次元の痛み。
そして口の中に残る不快なアルミの味。
痛みの原因がわかならない理不尽さ。
人生には理不尽なこともあるんだよ。
そんな教訓を教えてくれる。
もしあの不快さを知らずに人生を歩めたなら、
きっと性格はもっとまっすぐだっただろう。
そこまで思わせる一件だった。
なにしろ、銀紙を噛んでからというもの、
筆者は多くのものに対して疑り深くなったのだから。
大人の階段を一歩登ったとも言えるだろう。
さて、銀紙には遠く及ばないが、噛んだ時に不快を覚えるものを
最近見つけてしまった。
それは
トマトの皮
である。
トマトの皮を噛んだ時に感じる痛み。
噛み切れないトマトの皮である。
なぜ痛いのだろう。
もう何年もトマトは皮つきで食べているし、
それまでは何も気にならなかったのだが、最近急に気になりだした。
もしかしたら、年齢のせいで歯が弱ってきているのかもしれない。
認めたくないがそれはあるかもしれない。
昔に比べ、知覚過敏を多く感じるようになってきたから。
しかし、それ以上に言いたい。
最近のトマトの皮って硬すぎません!?
特にカ●メのやつ。
全然噛み切れないのである。
前歯まで持ってきて、結構な圧力をかけないと千切れない。
もしかして、カ●メのトマトって、皮を剥いて食べないといけないのだろうか。
味だけではなく、皮の柔らかさも改良してもらいたいものである。