香港旅行の思い出 その9

結局、S君は手術をせずに済んだ。

しかし、腎臓の損傷が回復するまでは退院できないため、筆者とN君は先に日本へ帰らざるを得なかった。

S君の家族が誰か来れないのか。
そう聞いたが、唯一パスポートを持っているお父さんが、近々に手術を控えているとのことで来れないらしい。

本当にツイてないS君である。

かといって、筆者やN君が残るわけにもいかない。
職場に連絡したところ、二人はきちんと帰ってきなさいという念押しもあった。

「いやぁ、いい経験になったね」

電話口の上司が明るくそう言ったのには、さすがに閉口した。
全然いい経験じゃねーよ。

滞在期間の残りで、一応観光することはできた。

ずっとS君の病室にいるわけにもいかない。
何せ狭い病室である。
我々がいるだけで邪魔になる。

S君も気を遣うだろうし、外で過ごすしかなかった。

ただし、当初の予定を大幅に変更したのは言うまでもない。

二日目の夜に予約していた二階建てバスは乗れなかったし、
三日目に行く予定だったマカオは、N君だけが日帰りで行ってきた。

S君のこともあるし、二人とも香港を離れるわけにもいかない。
朝と夜、病室にはお見舞いに行っていたこともあり、N君のマカオでの滞在時間は一時間程度だったそうだ。

観光が物足りなかった代わりに、とにかく香港料理を堪能した。
少々値が張っても構わない。
北京ダックやらなにやらを食べまくり、満足した。

筆者ら二人が帰国して二週間後、S君は無事帰ってきた。

元気そうだった。
しばらくは日本で病院に通う必要があるが、全然問題ないだろうとのことだった。

聞くと、ビジネスクラスで帰ってきたらしい。
気圧の変化により機内で傷口が開く可能性もあり、それに備えて看護師も隣に座らせて帰ってきたというのだ。

「病院代と合わせて百万円以上かかってたよ。全部保険がおりたけど」

保険様々である。
海外旅行に行く時は、絶対保険に入ろう。
そう固く誓った。

後日談であるが、旅行のあとすぐ受けたTOEICの点数が大幅に伸びていた。

怪我の光明である。
(実際に怪我をしたのはS君だが。)

色々あったが、英語を上達させるという当初の目的は十分達成したと言える旅行だった。

結局、旅行に言った三人は全員、数年後海外留学に行くことになる。

当時の上司の言うとおり、大なり小なり、香港の出来事がいい経験になったのは間違いない。

 

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