自分のことは、合理的で正しい判断をする人間だと思っている。
一方、妻の考えはあまりロジカルとはいえず、非合理的だと思うことが多々有る。
しかし、妻と会話をしていて、非合理の方が正しい場合もあるのだな、と思うことがある。
たまにではあるが。
妻は両親が共働きだったということもあり、家計に余裕のある家に育った。
家は、親つまり妻の祖父から譲り受けた土地に建てたので、ずいぶん余裕はあっただろう。
父が公務員、母が専業主婦で、頑張って一戸建てを建てた筆者の実家とは違う。
子供の頃を思い返すと、筆者の家はいつも家計に苦しく、切り詰めた生活をしていた。
長男だった筆者は、懸命に家計をやりくりする両親を見てきたので、節制が骨身に染み付いている。
そういう意味で、筆者のお金の使い方はかなり合理的だと思う。
一般的な言い方をすれば、ケチである。
一方、妻は経済観念が比較的ゆるく、結婚してから、徐々に節約することを学んでいった。
子供の将来のために、考えを変えてもらわないといけなかった。
だから仕方ない。
筆者は、当然のように、同じ商品、サービスを受けるなら安いものを選ぶ。
それが正しいと思っていた。
しかし妻は違う。
知り合いの商品、サービスを優先するのだ。
つまり、値段はあまり関係ない。
妻の親戚が農家をしているからだろうと思う。
農家は横のつながりが強い。
助け合い、というのを子供の頃から見てきたのだ。
だから安い商品ではなく、まずは知り合いの懐が潤うよう行動する。
知り合いからは手に入らない場合に、スーパーで買うのだ。
これは、筆者からすると上流社会の人間のやることだ。
お金に多少余裕がないとできない。
だが、助け合うという精神は大事だ。
きっと回り回って自分も助けてもらえる。
そういうことなのだ。
短期的に見ると非合理かもしれないが、長い目で見ると合理的。
その視点が、日々の生活に苦しんでいた筆者には欠けていた。
こういう新たな視点を得られるのが、結婚のいい点だと思う。