決断のとき

人生には、決断に迫られる時期が何度かある。

将来を見据えた前向きな決断。

進学や就職、結婚。

未知の世界への分岐点は、緊張もするがやはり瑞々しい。

振り返ってみると、当時のことが微笑ましく思える。

その一方で、年齢を重ねると、前向きでない決断も迫られる。

自分の引き際、そして親やパートナーの介護。

筆者の父親は、病気になり入院生活を送っている。

気胸という肺に穴があく病気なのだが、肺の状態が悪く、治る希望がないらしい。

肺から漏れ出た空気を抜くため、胸には常時管がささっている。

先日、担当医からもう手に負えないと言われたらしい。

他の病院に移るか、自宅療養してほしいとのこと。

要するに、末期の状態。

本人は自宅療養を希望している。

それはそうだろう。

住み慣れた場所にいたいという気持ちは痛いほどわかる。

他方で、介護には相当の労力を要する。

家には母一人。

子供は全員独立し、家族を持ちそれぞれの場所で暮している。

子供も小さく、頻繁に手伝いに行ける状態ではない。

しかも、胸に管が刺さっているという特殊な状況で、

何か間違って管が抜けてしまえば、大変なことになる。

父親の体力も低下していて、風邪やインフルエンザにでもなったら一大事だ。

とてもじゃないが、年老いた母一人で看護できない。

在宅介護だと、リスクが大きすぎる。

それに、母親の精神面も心配だ。

だから、他の病院に移ったほうがいい。

そのことを父親に伝えなければならない。

終末医療の機関に転院させること。

これも一つの決断だ。

父親には酷だし、本当に申し訳ないと思う。

だが、母親と共倒れになるようなことは避けたい。

全員が納得できる決断が下せるとは限らない。

時には、血を分けた親に対しても、非常な決断をしなければならない。

それも人生。

10年前で時が止まったままでいれば、どれだけ幸せだろうか。

現実は、時に無情だ。

 

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