先日、妻が遠い親戚のお通夜に行くと言うので、軽い気持ちで
「気をつけて。しっかりお祈りしてきて」
とメール送信したところ、お通夜から帰ってきた妻が唇を震わせて怒りだした。
しっかり、なんて言われなくても分かっている。
お通夜の準備で大変なのに、しっかりなんて厳しいことを言わないでほしい。
あなたは他人の気持ちがわからないの?
こんな調子である。
確かに、他人に言われなくても心を込めてお祈りするよ、というのは分かる。
この点は筆者が言葉の選択を誤ったと言えるかもしれない。
しかし果たして、彼女が言うように、しっかりは厳しい言葉なのだろうか。
この点がずっと筆者の頭の中に残っているのである。
授業をしっかり聴かなきゃダメでしょ。
いつまでもブラブラしてないで、しっかりとした職に就いて。
もう四十なのに、もっとしっかりしなさいよ。
全て親がダメ息子に吐くセリフをチョイスしてしまったが、しっかりには若干上から目線のニュアンスが含まれているかもしれない。
一方、同じような意味の言葉に、ちゃんと、というのもある。
ちゃんと声出していこう。
相手の動きちゃんと見て。
ちゃんと腿を上げて走れよ!
運動部の一場面のようであるが、どちらかというと同世代や親しい人に使う言葉なのかもしれない。
ということは、
「ちゃんとお祈りするように」
と言えば、まだ柔らかく伝わったのであろうか。
あるいは、ちゃんとを具体化して、
「心を込めてお祈りするように」
であれば良かったのだろうか。
否であろう。
いずれも、他人に言われなくても分かってるよ、である。
言葉というのは難しくて、同じ言葉でも言う人によって
伝わり方が違う。
朝10分でもいい。毎朝少し早く起きてそれを自分の勉学に充てなさい。
そうすれば五年後、君は今とは別人の、立派な人物になっているよ。
私を信じてやってみなさい。
この言葉を酔いどれ親父に言われるよりも、ビルゲイツに言われる方が信憑性があるであろう。
当然である。
受け取る方は、相手の地位や経歴、声のトーン、抑揚、間(ま)、表情など、様々な要素を解析し、複合的に受け取った言葉を解釈している。
しかし話者だけではない。
受け取る側も、本人の気分や疲労度合いなどによって、言葉の感じ方がも変わってくる。
非常に複雑である。
つまり要約すれば、話す方が相手の受け取り方を完全に制御するのは不可能である。
そう、絶対無理なのである。
だから、筆者が妻に怒られるのも仕方のないことなのである。
・・・と、言い訳を書いて現実逃避してみたが、できた夫であれば、妻がどういう時に何を言われたら嫌か、分かるものであろう。
本件は、筆者のスキル不足が最大の要因であることは否めないのである。