エッセイを書く。
そう宣言したものの、果たして何を書けばいいのやら、である。
面白い人間になって、妻を楽しませたい。
そう思ってエッセイを始めたものの、そもそもエッセイを書けば面白い人間になれるのであろうか。
面白い話をすらすら書ける人は、面白い話ができる。
この命題は真か偽か。
数学者に尋ねてみたいものである。
わからないといえば、自分の書いたエッセイが面白いのかも不明である。
このエッセイの読者は現在ゼロである。
つまりここに綴っても客観的な評価が得られない。
良し悪しが判断できないのである。
まだエッセイを書き始めて間もないが、筆者は現在、以下のようなスパイラルに陥っている。
筆者はこのエッセイが面白いか知りたい。
それには、まずこのエッセイを誰かに読んでもらう必要がある。
一方で評価をもらえる程度にエッセイを(真面目に)読んでもらうには、内容が面白くなければならない。
しかし、自分が書いたものが面白いかわからない。
やはり、書いたエッセイが面白いのか知りたい。
コンパスなしに、大海原を漂う筏の気分である。
かといって、知人にこのエッセイを見せて、感想を聞く気もない。
妻との関係性を他人に知られたくないのである。
心配されるのも面白がられるのも面倒である。
これは、筆者のポリシーである。これを曲げるつもりは断じてないのである。
筆者にできることは、ひたすらエッセイを書き続けることである。
たとえ大陸とは逆方向へ向かって漕いでいたとしても、漕ぎ続けるしかない。
筏を進めなければ、どこにもたどり着けないわけである。