先日記事にも書いたように、フレディ・マーキュリーの伝記的映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観た。
そこで、強烈に思ったことがある。
それは、
音楽ってズルい
である。
何がズルいのか。
①間口が広い
他の芸術と比べ、音楽が嫌いな人は圧倒的に少ないだろう。
音楽にあまり興味のない人でも、きっと好きな曲、口ずさんでしまう曲が一つはあるはずである。
それは、古の時代から、人類は音楽とともに歩んできたからであろう。
仲間を鼓舞するため、祝うため、神に捧げるため、死者を弔うため。
文字が発明されるよりもずっと昔から音楽はあった。
人類のDNAに染み付いているものなのだ。
加えて音楽は、基本的には旋律とリズムだけである。
歌詞の意味がわからなかったとしても、旋律とリズムだけで音楽を楽しめる。
旋律とリズムに国境はない。
生まれた国や文化、言語を超えて、共感を呼ぶ。
これほど間口の広い芸術はあまりない。
②片手間で楽しめる
音楽は、基本的には聴覚さえあれば楽しめるものである。
つまり、音楽を聴いている間、聴覚以外は自由である。
これはとてつもないアドバンテージである。
つまり、音楽を聴きながら、何か作業をできるのである。
勉強しながら。
家事をしながら。
仕事をしながら。
他の芸術や娯楽だと、こうはいかない。
それは、他のものだと視覚が妨げられるからである。
聴覚だけで楽しめる。
これは大きな武器である。
③相乗効果が半端ない。
はっきり言って、これが一番ズルい理由である。
悪い言い方をすると、人のふんどしを借りるというものだ。
先に述べたように、音楽は、基本的には聴覚のみで楽しむものである。
しかし、音楽の汎用性は高く、他の芸術と組み合わせることができる。
たとえば、映画やドラマ、演劇で音楽が使われるのが最たる例である。
しかも、音楽だけで聴くのと、映画やドラマ、演劇を通して聴くのとでは、感じ方が異なる。
ストーリーの感動と相まって、後者では音楽の感動が何倍も高まる。
冒頭で述べた、「ボヘミラン・ラプソディ」でクイーンの曲に感動できるのもこれが大きい。
この効果をうまく利用しているのが、タイアップという手法であろう。
映画やドラマ、CMで使用される曲が、人気になった例を読者は幾つも知っているはずである。
視覚とかけ合わさると、相乗効果でよりよく感じる。
おまけに、音楽は聴く回数に比例して親しみが増す効果も持っているから、映像を見る回数に応じて音楽が好きになるのである。
近年、レコード会社がミュージックビデオに力を入れているのは、この効果を利用するためである。
筆者が学生の頃はあまり盛んではなかったが、動画配信サイトの普及とともに、ミュージックビデオは一般的になった。
ビデオの出来が素晴らしいと、何度もその映像を繰り返し見る。
すると、自然と音楽も好きになってしまうのである。
また音楽は視覚だけでなく、他の五感との相性も良い。
音楽ライブに人が熱狂するのがその例である。
ライブは、五感全部で楽しむものである。
五感全てで感じる音楽には格別の素晴らしさがある。
音楽の真髄は生演奏にあると言ってもいい。
このように、音楽は間口が広く、手軽で、時としてとてつもない破壊力をもつ芸術である。
それに比べ、筆者が書いている小説はとても間口が狭い。
言語や教育の壁はあるし、視覚と手が奪われるので、何かの片手間にという手軽さもない。
他の芸術との相乗効果もなく、視覚でしか楽しめない。
しかし、だからこそ、小説にしかない良さがあると筆者は信じている。
小説で伝えることができない表現がきっとある。
その良さをうまく引き出すことが、プロに必要な能力なのであろう。